小雨
若葉してみな雨の木となっており 正子
若葉して広場がらんと空をみせ 正子
雨の朴白き蕾を一花のみ 正子
●夕方、「俳壇年鑑2024年版」が届いた。俳壇5月号増刊号となっている。
「全国実力作家350人の秀句」と「諸家自選2200句」の二本立て。花冠からは、「諸家自選2200句」に、川名ますみさん、多田有花さん、髙橋句美子さん、
髙橋正子、髙橋秀之さん、柳原美知子さんの句が掲載される。
祝恵子さん、桑本栄太郎さん、藤田洋子さんについては、出句したかどうか不明。
●一日雨で少し寒い。小雨のなか、傘をさして階段(60段ほどと思っていた階段は、今日数えると百段ほどあった)を上り、日吉の丘公園へ。20メートルをこえる新緑の木々に雨が降っている。「レインツリー」「雨の木」と呼びたい木々。森の縁の笹を刈ったあたりに金蘭が10株以上咲いている。まさかという思いが、これまた、まさか妖精がいるのではないかという思いに。これは夕べ読んだ『アーサー王と聖杯の物語』が頭に頑なに残っている証拠。
金蘭はかつては、ごく普通に里山にあったという。金蘭と銀蘭がある里山は良い里山とのこと。四季の森公園には銀蘭、金蘭がある。日吉の丘公園には金蘭だけ。よい里山にはもう一歩。
帰り、おととい下りてみようかと思った階段がある。どこに通じているかわからないが、降りた。途中、朴の花の白い蕾をひとつ見つけた。木々が覆う、幅が1メートルもない階段は、下りていても心細い。奥まっているところに自然食レストランがあった。蕗やシャガで斜面が覆われている。レストランは開店しているのか、いないのか。途中の家は丘の地形を工夫して、面白い暮らし方をしている。下りて来た道は赤門坂の大きなマンションの横に通じていた。
曇り
白藤の白かがやかす曇り空 正子
おがたまの垣根と知りぬ花匂い 正子
花みかん匂いて数々思いだす 正子
●朝4時近く目が覚めたので、そのまま起きて、10センチほどの小さいドイリーを編んだ。フランスの古いレース編みを製図に書き起こした本から。きれいなのだが微妙に難しく、編み方が頻繁に変わる。眠くなる前にできあがった。糸はマンセルのレース糸30番。
●今日、新しく見た花は、おがたまの花、白藤、みかんの花。おがたまの花は、学名がマグノリア・コンプレッサというように、マグノリアの名前がついていて、いい匂いがする。みかんの花は農家の畑に、白藤は農家の屋敷林にからんで、今が真っ盛り。
●植えたばかりなのに、百日草と撫子が切り花にできるほど背丈が伸びた。切って仏前に供えた。買ってきた花とは少し違う雰囲気。
●『アーサー王と聖杯の物語』(サトクリフ・オリジナル2)を読む。騎士道とか話が面白いというものではなくて、ケルト的とか、キリスト教的とか、精霊的とか、そういう世界が魅力。
小雨、のち曇り
大樹みな若葉となりて暗がりに 正子
きんらんの黄が目をうばう春の森 正子
金髪の母と子若葉に遊びたる 正子
●住んでいる日吉3丁目の東の突き当りは60段ほどの急な階段があり、日吉の丘公園に続いている。きょうはこの階段をのぼり、日吉の丘公園へ出た。雨の後の公園は地面はしっかり湿り、コナラやクヌギ、ムクの大木の新緑が上からかぶささるようにふさふさと葉を増やしてうす暗い。桜は葉桜になっているが、種類は御衣黄、大島桜、一葉、山桜など。一葉は葉桜となっても花をつけ、花は手で触るとすぐ散る。
はじめ、十羽ばかりの烏がコナラの若葉に集まって鳴いているだけだったが、そのうち、母と子供二人、みんな金髪の親子が来た。何語が話していたが、英語でもフランス語でもなく、ほかの言葉に聞こえた。帰りに女の子のそばを通ったので、「ハロー」と声をかけると、にこにこして「ハロー、コンニチハ」と返してくれた。「この公園がすきなの?」と聞くと好きだという。母親が「コンニチワ」と遠くから手を振ってくれる。これと言った遊びをしているわけではないが、木の中を走ったり、隠れたり。帰り道、入口辺りに、「金蘭」を見つけた。まさかと思ったが、間違いない。もとは里山なので、こういった植物が残っている。
曇り、夕方雨
●早く目が覚めたので、ベランダを洗っていると、雀と四十雀が競って鳴いている。向こうでは烏も負けじと鳴く。5時から6時頃は鳥の時間のようだ。
●ゲーテの言葉にこんなのがあった。
「年をとるということが既に、新しい仕事につくことなのだ。」
●夕ご飯は、たけのこと蕗と揚げを炊いた一番平凡なお菜で。新ジャガイモはマッシュにしないで胡瓜とサラダ。
●町内会の班長の当番が4月で終わるので、早めに次の人に引継ぎをした。1年間は長い。前は半年だったのに、1年に変更された。この1年は信之先生が亡くなったり、花冠の40周年の合同句集の発行があったり、重なるときは重なるとは世の常らしいが、その通りになった。終わってほっとしている。
〇4月月例ネット句会にご参加ありがとうございました。今年の桜は、満開になるころ冷え込んだせいもあって、長く楽しめました。それだけに、多くの方がさまざまに桜を詠んでくださり、句会も華やかな感じになりました。
選とコメントをありがとうございました。
〇この場をお借りして合同句集『泉』から四季の句を一句ずつ4月15日にまでに選んでいただきましたことをお礼申し上げます。ありがとうございました。 全員とはなりませんでしたが、選んでくださった方大変ありがとうございました。花冠N0.371号(夏号)に花冠の秀句としてよい形で掲載したいと思っております。
〇これで、4月月例ネット句会を終わります。来月の月例ネット句会は5月12日(日)となります。
また、5月24日(金)は信之先生の忌日にあたりますので、信之忌(芍薬忌)ネット句会を開催いたしますので、こちらへもご参加よろしくお願いいたします。詳細はのちほどネット短信と、月例ネット句会のこのブログ上でお知らせいたします。
2024年4月20日
髙橋正子
晴れ
春の日の無音の日差し満ちみちて 正子
あか詰草しろ詰草がおなじ野に 正子
たけのこと花苗を買う直売所 正子
●JAの直売所へ朝掘りたけのこを買いにでかける。今年は筍が豊作なので、店舗前でたくさん売っている。午後になると値段を下げて売るのがJAらしいが、断然、朝掘ったばかりのものがいい。お昼を食べながら、大鍋で2時間ほど茹でる。一晩ゆで汁に浸けたらできあがり。
●『ファウスト』(池内紀訳/集英社)は、大ゲーテ著と言うので敬遠していたが、年を取って読むと身につまされるところもある。意味もなく手にしたが、登場人物の語りが、初めて聞くことではなく、むしろよく聞いたようなことなので、面白く読めた。先師の臥風先生はゲーテの研究者であったので、自然と、ゲーテの言うようなことが、仲間内で共有されていて、私まで伝わったのかもしれない。また、ひとつには訳文のお陰かも知れない。
箱根湿性花園
晴れ
筍の竹に育ちて雨通す 正子
茅花の穂光れば辺りみな茅花 正子
茅花野を行きつつ「リリー・マルレーン」 正子
●昼間暑いぐらいなのに、朝夕は寒い。
●「テネシーワルツ」は覚えるぐらい聞いた。テネシー州の州歌5曲入っているらしい。そのままの歌詞で州歌なら驚くが、この曲、すぐ歌えそうで、歌うとむずしい。はじまりが3拍目の弱音、低い音で歌いはじめないと、一気にオクターブ飛ぶから声がでない。真面目人にはスウィングがむずかしい。
曇り、夕方小雨
花水木司書のブラウス白であり 正子
あちこちに白き紙あり春の夜 正子
春の真夜四国南端震度6 正子
●梅雨の走りのような天気。昨日美知子さんの電話で珈琲屋さんはお元気だと知る。数年前、ずいぶん具合が悪いと聞いていたので、美知子さんも私も珈琲屋さんは亡くなられたと思っていた。存命と知り嬉しく思った。文化の重みが残る安心感がある。「花冠」2023年9月号(信之先生追悼号)と2024年2月号を送る。信之先生が亡くなったことが松山の昔仲間に知られて、話に上っていると聞いた。
珈琲屋さんは、松山の文学サロン的だった。今では老舗と呼ばれるらしいが、思い出せば、昔も老舗の雰囲気だった。二番町の地下のお店には地上から下りていく。お店の大きな円卓は新聞や文芸雑誌などが雑然と置かれていた。マスターの作る出来立て食パンが懐かしいが、帰りに買うときは2斤買っていた。西村先生の『世紀末ウィーンの・・』では、ウィーンのカフェが文化人に重要な役をはたしていたことが知れる。
今流行っているカフェは、パソコンを持ち込んで一人で勉強をするのが流行っている。それはそうと、本の「黙読」は、グーテンベルクが印刷機を発明し、大量に本が印刷されるようになったからだと、『はじめて学ぶドイツ文学史』で読んだ。ずっと昔は、識字率が低かったから、声にだして演劇のように伝えることが大事だったのだろうから、「黙読」という行為は面白い現象かもしれない。
●図書館で『ファウスト』(一部・二部)と『迷宮の将軍』(ガブリエル=マルケス)など4冊借りる。図書館のあるセンター南の駅前のナチュラルガーデンの花がよく咲いて、フランネル・フラワーが白いネルのような感じ。白いネルは戦後のこと、母が寝間着に仕立ててくれていたので感触が記憶に残っている。駅前広場は面白い構造で街が下にある。波打ったような坂が上り下りしている街なので歩道から街が眺められる。この街、気に入っている。
●4月月例ネット句会の入賞発表において、次の吉田晃さんの句を入選句にあげるべきところ脱落しておりました。お詫びして訂正いたします。従って【入選句】は10句から11句となります。
互選3点句
17. 枝垂れ咲く古刹桜の夕明かり/吉田 晃
大変失礼いたしました。
2024年4月16日
髙橋正子
曇り, 夕方雨
たけのこに雨大粒に降り出しぬ 正子
筍の切っ先明るい緑なり 正子
藤房の揺れつぎつぎと伝わりぬ 正子
自転車の子らに躑躅の赤く燃え 正子
●今朝、目が覚めるや、「言語をこえる」という言葉を、早とちりをしていたと気づいた。50年前のことなので、50年間ずっとそう思っていたのだから、粗忽者もいいところ。恥ずかしさを通り越して、笑うしかない。
●図書館から借りた本の貸出期限が明日。『コレラの時代の愛』(ガブリエル=マルケス著)『ぼくのドイツ文学講義』(池内紀著)『ドイツの詩を読む』(野村修著)『はじめて学ぶドイツ文学史』(柴田翔編著)の4冊。『はじめて学ぶドイツ文学史』は、ドイツ文学はよく知らない、おまけに文学史ほど嫌なものはない私が、読んでみて、これほど面白い「文学史」はこれまでなかったと思ったのだ。
文学史で面白かったのは、ノヴァーリスの『青い花』の原題は『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』だとか、グリム童話の「ヘンデルとグレーデル」の解題とか、1701年~1789年の時代思潮として、「ガリレオやニュートン以来、自然科学は人間理性に対する信頼を着実に高めていた。だが、知識が、それどころか人間が進歩すると言う考え方は、伝統的世界観と矛盾する。その世界観に従えば、人間世界がより良いものへ進歩することはありえなかったからだ。人間を救済するのは神の役目だった。この神と理性の対立をどう調停するかが、18世紀精神の最初に直面する大きな課題だった。」と書いてあった。人間はよりよく進歩するものと考えられていると思っていたから。
「はじめて学ぶ」の題が冠されているのは、有名な初歩の作品があげられているため。本質的な重要なことは解説されている。例えば、マンなら、『ヴェッチアに死す』、グリムなら「ヘンゼルとグレーテル」、ゲーテなら『ファウスト』のはじめのところ、など。
『コレラの時代の愛』は500ページの長編の割には2日で読み終えた。とても骨太の作家と思った。ストーリーは少々が違ったとしても、現実には無い話のようで、実は現実にある話と思えた。
●夕方、鯛ヶ崎へ行った。躑躅や皐月、藤、モッコウバラが満開。数日鯛ヶ崎に来なかっただけなのにこの変わりよう。竹林に筍は30本以上は出ていているかもしれない。小学生の子たちが山の階段を自転車で降りて来る。これはすごい。