8月18日(日)

曇り、ときどき晴れ
朝の蝉ミニカーきのうと同じ向き  正子
十階の団地の裾は虫の野に     正子
団地の灯きらきら秋のはじまりに  正子

●朝夕は暑さが少し収まったので、ウォーキングを始める。しばらくは、1日5000歩ぐらいにして、楽に歩くつもりだ。近所のURや民間のマンションがある団地の中を歩いている。平たんで、風が心地よく、いろんな草木があって蚊がいない。人や交通も安全。ベンチがあって休めることなどがありがたい。

●「日々を生きぬくこと」(『ヘッセ 魂の手紙』第2章)は、一般には重いテーマが含まれている。手紙を「魂の」と形容しなければいけないというほどに。 

ヘッセの創作活動と、その創作活動と共にある2度の戦争との闘争と、三度の結婚生活が手紙からうかがえるものである。最初の妻との困難な結婚生活、二度目の妻、スイスの女流作家の娘で若いソプラノ歌手との別居の結婚生活、3度目の妻との死までの落ち着いた30年の生活と創作活動の関係は、ほぼ理解できる。

想像し難いのは、戦争との闘争である。私にとって、わかりやすい印象的な事例が二つあった。ケープタウンに住む読者からの1936年2月25日付のヘッセへの手紙の文脈である。ヘッセはヘレーネ・ヴェルティ宛ての手紙にその手紙を同封して知らせている。その文脈は、公開をためらうほど、強烈にヘッセを批判するものである。

また、もう一つは、トーマス・マンの長男の小説家で時事評論化のクラウス・マンへ宛てた、1938年7月21日の手紙で伝えていることである。1938年のヘッセは、妻のニノンがオーストリア出身のため、彼女の親戚や友人の運命や苦難がヘッセにも重くのしかかり、家にも亡命者をかくまっていた。ヘッセは第1次大戦中、強度の近視のため兵役にはつかず、フランスの捕虜収容所のドイツ人捕虜たちに本などを送る役目にあたっていた 。そのとき捕虜から叱られた話である。

「あのころの私(正子注:ヘッセ)は戦争捕虜に自分の編集したちっぽけな雑誌や読み物を、それに楽譜や楽器、大学生向けの教科書などを供給しました。かつて、捕虜収容所文庫として、フランスのある強制労働収容所への一箱に、ホフマンの小さな廉価版の『黄金の壺』を入れたことがあります。するとそれを受け取ったものからひどく叱られたのです。ドイツの捕虜や兵隊は、ひい爺さんの時代のそんな子供じみたロマンティックな代物など相手にするつもりはない。今日の問題や、半端でない今の生活と接点のある読み物、たどえば、ルードルフ・ヘルツォークの作品を求めている、」(『ヘッセ 魂の手紙』p.140)と。

これらたった二通の手紙からさえ、民衆は一度戦争の方向に向くと、幼いころの純真な心や正義や愛や落ち着きをすっかり失くすということである。

翻って、俳句も今は一つの方向を向いている。国家に近いところからの賞や、同調しやすい民衆や、時流にいる俳人の賞賛があって、一つの方向へどんどんと行っている。ほかにもある価値観を忘れているのではないだろうか。
この問題はこれでで終わりにする。

8月月例ネット句会/ご挨拶

ご挨拶
残暑お見舞い申し上げます。8月も半ばを過ぎました。地震も日常生活に入り込んでくるほど頻繁に起こり、心配なことです。きのうは台風7号に見舞われました。被害はありませんでしたか。

猛暑のなか、8月月例ネット句会にご参加いただき、ありがとうございました。
毎回、滞りなく句会が進んで、ご協力に感謝しています。また、選とコメントをありがとうございます。句会後にもコメントが付けられていますので、月例句会のブログをお訪ねください。まだまだ暑さが続き、熱中症にも気を付けなければいけない状況ですが、お体に気をつけてご健吟ください。これで8月月例ネット句会を終わります。
来月の月例ネット句会は9月8日(日)となります。楽しみにお待ちください。
2024年8月17日
高橋正子

8月17日(土)

晴れ、台風一過
つくつくほうしミニカー三つ忘れられ 正子
つくつくほうし日暮れの雲の金色に  正子
百日紅日暮れがはやも枝に来て   正子
●お盆の仏具をしまう。入っていた箱に収めるのはまるでパズル。
●猛烈に暑い。今年は、朝顔の蔓はよく伸びて、一部屋の前は陰ができて少し涼しかったが、まだ花が咲かない。夜が明るすぎる、暑すぎる、蔓が伸びすぎる、とかの理由か。たぶん、もう咲かないだろう。この夏いちばんに楽しみにしていたのに、1年生でも咲かせることのできる花が咲かない。それでも最近植えたアメリカンブルーの青い花がつぎつぎ咲くので、少しは慰めになる。

8月16日(金)

雨 台風
台風に道路しずまり雨の音     正子
苧殻白し焚かれず盆にのせ置かれ 正子
台風の来ている夜の扇風機     正子
●台風7号は夜に最も接近し、台風らしい台風。いかにも雨や風に台風の匂いがしている。外の道を行く人が、遠くから一人、角から一人出てくる程度なのだ。雨が急に強くなったり、小止みになったりする。一日家に籠り、主には本を読んで過ごす。

●俳句をしていながら、文学について話したり、聞いたりすることがまったく無い日を過ごしている。これを改善することもできないので、現に、私は孤立(solitude)感をむしろ享受しているが、文学について知るには、本を読むしかないのだ現状だ。
そういったわけで、ヘッセに傾倒しているとは言えないが、彼は内面の葛藤を率直に吐露し、魂の彷徨という意味で詩人的な道を辿っていると思うので、丁寧に読んでいる。それらの本が『ヘッセ 魂の手紙』『ヘッセ詩集』だ。『魂の手紙』からは第1章「少年から青年へ、嵐の時代」、第2章「日々生き抜くこと」を読んだ。
●元が朝のうちにお参りに来てくれた。台所周りの用事は何かないかと言いつつ、水道の浄水器を新しく付け替えてくれた。来てくれた機会にお寺から彼岸法会の案内が来ているので相談し、息子を施主にして、午後彼岸法への出席を申し込んだ。お盆が終われば、すぐお彼岸なのだ。夕方には台風の中の送り火。実際は危ないので送り火は焚かなかったが、このような日の送り火に不条理な思いを抱いた。

8月15日(木)

曇り、のち晴れ
すじ雲の刷かれて空は敗戦日   正子
銀翼の雲に入りゆく盆の空    正子
  ガザ攻撃
台風の画面につづき血と瓦礫   正子
●台風7号が明日関東地方に接近しそうだ。図書館の本の返却日が明日になっているので、万一の場合を考えて今日返却に行った。またヘッセを延長して借りた。
ヘッセの小説は評価が高いが、詩はリルケなどに比べると評価が分かれている。ドイツ詩集に入れられてない場合もある。だけれども、ヘッセの詩の内容に、共感するものがある。多分、ヨーロッパの詩を鑑賞する態度ではないかもしれないのだ。ヘッセのSchuwalzwaldを刷りだして読むと、ちゃんと韻を踏んでいるが、こうも私に馴染むというのは、ヨーロッパの詩人の詩と違っているのかもしれない。
●幼子の話(一)
3日前だったか、JAへ野菜を買いに行った。帰りの電車で、私の座る向かいの、車椅子や乳母車用のスペースに若い家族が乳母車を止めた。乳母車の赤ん坊が私の顔を見るのだ。私が手を小さく振ると表情は変えないが、じっと見てくる。それで私は、パーにした左手の指を親指から順番に折り、次に小指から順番にすばやく立てる、なんということない指遊びをした。赤ん坊は表情を変えないでうんうんと顔を上下する。父親が気付いて私の方を振り向いて笑った。「かわいいね、いくつ?」と聞くと電車のゴトゴトいう騒音のなかで、赤ん坊はぐっと力強く腕を突き出して、親指と人差し指で2歳だと示した。降りる間際だったので、小さく手を振って、数の示し方はアメリカ人みたいだと思いながら降りた。電車の騒音で聞き取りにくい私の「いくつ?」の問いを聞き取り、ちゃんと答えたのだ。2歳ですでに他人とコミニュケーションがとれているのは驚きでもあった。
●幼子の話ふたつ(二)
電車で2歳の男の子と小さな関わりをもって、わが息子の2歳のころを思い出した。父親の真似をしたがる時期。息子と父親がふたり横になって、片肘を立て、手に頭を載せて寝転がり、同じ格好でテレビを見ていた。父親が置いてある飲み物をひょいと取って飲んだ。それを真似て息子も横になったまま飲み物をとって飲んだ。息子は頭から顔に、バシャッと飲み物を浴びてしまった。胸元で起こった事態にあわてたのは父親。息子は起きた事態に何が何だかの顔。夕食を作る手に、そこらにあるタオルをもって走った。
2歳の息子が父親を真似たがるものの一つに新聞を読むことがあった。父親が新聞を広げて毎日読む。息子も真似て新聞を広げるが、字が読めるわけではない。当時購読していた夕刊には、月の満ち欠けの絵や、満潮干潮の時刻が載っていた。月の絵ならわかるだろうと、私は「これがきょう出るお月さんだよ」と教えた。それからは、月の満ち欠けの絵が気に入ったか見ていた。ある日、「きょうは、おつきさんがふたつでるよ」とうれしそうに言ってきた。「?」の私だ。新聞をもってきて見せてくれた。月の絵がふたつあった。ああ、「ある日」は土曜日だった。つまり、日曜日は夕刊が休みなので、土曜日の今夜と、日曜日の明日の月の絵がふたつ載っていた。いまだに思い出す。

8月14日(水)

晴れ
なでしこの絵の灯籠のまん丸し   正子
盆二日灯してお膳をあげ下げす   正子
鶏頭の真っ赤な色がスーパーに   正子
●台風7号が発生。あす夜からあさって、関東地方を襲う予報。
●私のこの日記を熱心に読んでくださる読者が一人や二人でないことを最近、よく知った。具体的に顔が思い浮かぶのは数人ぐらい。「読んでいる」と葉書をいただいたり、「面白いと言っては失礼かもしれないが面白い」と電話で話してくれる人がいる。中には私の生活を気遣って毎日のように読んでくれている人もいる。俳句に関心をもって句集を送ってくださった方が一人いる。前には、信之先生が亡くなったと日記で知り、元会員の方からお悔みの電話をいただいた。女の人ばかりではなく、男の人がいることも知った。なかには学者がいることも知った。
私自身も一日の終わりに、いくつかの意味をもって日記を書くことは苦痛ではないし、誰とも話すこともなく終わる日が多いなかの、読者がいることを向こうに見て、ある種の楽しみでもある。少しでも、印象に残る、読みやすい日記を目指そうと思い直して、先日はひとり暮らしのアメリカの作家、メイ・サートンの『独り暮らしの日記』を読んだ。その日記から、日本国憲法の付属法である裁判法の草案をつくったGHQのアルフレッド・オプラ―を知った。ケネディ暗殺時やジョンソンのリアルな話も知った。彼女は講演会にもでかけたり、著名であるようなのだ。そのせいかどうか、共感する部分が少なかったが、書いた日記の一年分でも本になっていることを知った。日本には古くから女性の日記文学もある。それは、なんとなく知っている。
このところ図書館からヘッセの著作を借りて読んでいる。『車輪の下』や『郷愁』などは青春の読書のなかにある。雲を見て暮らした人と知っている。後半生の著作は知らない。老境に入って書かれた『人は成熟するにつれて若くなる』のエッセイを読むと、メイ・サートンよりはるかに私の感じ方や心の陰影のありように重なるところがある。『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/小沢書店)には、ここは違うが後は私の感じ、と思う詩もある。彼はヨーロッパ人だし、私は東洋人のなかの日本人。重なるはずもないだろうが、今、大いに考えさせられる。
『人は成熟するにつれて・・』の中の「小さな煙突掃除屋さん」は妻に外出を誘われて祭のなかに立ったときの気分が書かれている。何か、似ている。続く「復元」は自分の野菜畑や果樹園の趣味であろう庭仕事の話は、生家の畑を思えば、話に共感するのだ。読んで、書き方を習うのもいいかもしれない、と思った。
●『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘルマン・ヘッセ著/岡田朝雄訳/草思社刊)の「運動と休止の調和」(『四月の手紙』より)より思うこと。
「春はほとんどの老人にとって、けっしてよい季節ではない。私も春にひどく苦しめられた。(中略)痛みはあちこちにひろがり、ますますひどくなった。(中略)それでも日中は毎日、戸外へ出られるわずかなひとときに、痛みを忘れ、春のすばらしさに没入できる休憩時間を、時には恍惚と天啓の数瞬間をもたらしてくれた。これらひとつひとつの瞬間は、もしも記録することができれば、つまりこれらの驚異や天啓が書きとめられ伝達されるものであれば、どれもそうする価値のあるものばかりであろう。それらは不意にやってきて、数秒間か数分間続く。」
この文は俳句については全く述べてなく、早計に俳句に結び付けるのは問題だが、そうは言っても私の作句経験から見れば、おどろくほど作句の経緯に似ている。また、この文章に続くあとの文章も、長い人生を経ての、回り道をして得られる人生の本質を述べて、これも俳句に通じて、俳句を極めるには歳月がいることを悟らせてくれる。ヘッセの老境に至っての文章であることを考えれば、なお興味深い。
俳句に通じていると感じるのは、私が俳人と言う特性からである。ヘッセがここに「瞬間」と言う言葉を使っていることから、小説ではなく詩の場合を考ええてよいが、ヘッセはこのような瞬間をどうしていたのだろうと思う。「もし記録することができれば」「つまりこれらの驚異や天啓が書きとめられ伝達されるものであれば」と仮定法なのである。俳句を知っていたら、俳句に昇華したかもしれない、と想像するのである。
この瞬間がのちにヘッセに詩を生ませた可能性はあるだろう。それが一つの詩の要素であるなら、そういう特徴にきわめて似ている俳句は詩であるという特徴が明らかになるのではないかと思える。

8月13日(火)

晴れ
とんぼうの影の過れるバスの窓   正子
井戸水を汲み来て墓の名を洗う   正子
病葉の降り来し音や夫の墓     正子
●墓参。朝8時半の電車で出かけた。小田急線の鶴川駅前からバスに乗ろうとすると、句美子ぐらいの年齢の女性がお花を持って墓参とわかるスタイルで、まごついていた。聞くとおなじ墓地に行くとのことで、墓地まで一緒にいくことになった。
今朝京都を6時15分の新幹線で発って今の時間になったとのこと。母親の墓参に年2回は来て、一泊して帰るという。「今年は、京都は暑かったでしょ。」など言うと、「39度になりました、もう、暑くて。」「私も知り合いの方が京都にいますので、大丈夫かなと思いますよ。」京都の様子をいろいろ話してくれた。事務所の泉心庵で冷たいお茶をいただいて別れた。彼女の母の墓は少し奥のようだった。
信之先生のお墓に着くと、ちょうど桜の葉蔭になって、涼しそうだったので安心した。子供たちは7月にお参りに来たので、この暑さなので、お墓には来ないように言っている。社会状況や会社での仕事の様子をみれば、親が気を付けていなければいけない。
●お墓から帰り、昼寝。覚めてから精進料理を作って供えた。精進料理は夕食に。精進料理を食べながら、仏様になったような気分もしないではなかった。迎え火は、去年はほうろくで焚いたが、火が思ったより大きくあがったので、今年は焚かなかった。代わりに苧殻をお盆にのせて仏壇の脇に置いた。灯籠は日が暮れる前に灯した。
●『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス著)が文庫本になって話題になっている。マルケスの本で読んだのは『コレラの時代の愛』だけ。これも長編だが、こちらは一気に読める。『百年の孤独』は複雑で、読み方支援キットのパンフレットまである。これを本屋でもらったが、読む気にはなっていない。
読書家の話を聞いていると、生涯で肝心な本を読んでいない気がしてくる。大切なことを忘れて来たようなさびしさが漂い始める。

■8月月例ネット句会入賞発表■

■8月月例ネット句会/入賞発表■
2024年8月12日

【金賞】
21.朝影の田に濃きみどり秋立てり/柳原美知子
「朝影」は朝日の光のこと。朝日が田んぼに射すと、緑濃くなった田んぼに爽やかな風が吹き、立秋を知る。朝影のイメージと響きが美しく、季節の移り変わりを大切に思う心がみえてくる。(髙橋正子)

【銀賞/2句】
02.茄子の葉へ軽い音してにわか雨/吉田 晃
にわか雨の降り始めに、茄子の広げた葉に軽く音を立てて雨が落ち始めた。その時の様子が、リアルに伝わってくる。「軽い音」に茄子も雨も生き生きとしている様子がうかがえる。(髙橋正子)

31.いかづちや東京の夜を真っ二つ/西村友宏
大都会の東京でも雷光と雷鳴に夜空が真っ二つに割かれるような激しい雷があった。「夜」「真っ二つ」に力強さがあり、雷の力強さを示す句となった。(髙橋正子)

【銅賞/3句】
22.白壁を朝顔の紺のぼりきる/川名ますみ
白壁と朝顔の紺の対比が美しい句。また、「のぼりきる」に作者の決意ともいえるような強い内省的な意志が見えて、美しさに加えてのよさとなっている。(髙橋正子)

30.赤とんぼおのおの翅をきらめかせ/多田有花
赤とんぼが群れ飛んでいる。それぞれに陽があったって、それぞれの翅が向きむきで、どの赤とんぼの翅もきらめいている。赤とんぼの世界が別世界のように思える。(髙橋正子)

35.夏晴れる瀬戸内海の田舎町/髙橋句美子
瀬戸内海の夏は、かつては塩田に象徴されたように、雨が少ない瀬戸内式気候と言われる特徴を持っている。晴れると夏の強烈な日差しが射すが、どこか細やかな陰影を見せる晴れ方である。その瀬戸内の田舎町は、古い町並みが夏陽に照らされ、特別な印象をもって、目に残るのだ。(髙橋正子)

【髙橋正子特選/7句】
02.茄子の葉へ軽い音してにわか雨/吉田 晃
俄雨の中の茄子畑の様子を良く見ている。軽い音が良い。 (廣田洋一)

14.母がむく桃を頬張る帰省の子/高橋秀之
帰省した子に旬のおいしいものを食べさせたいと思う母心。童心にかえって母の気持ちに甘える子。成長した子に幼き日の面影を重ね、微笑ましく見守る作者です。 (柳原美知子)

21.朝影の田に濃きみどり秋立てり/柳原美知子
朝影の映る田の鮮やかな緑の葉がさやさやと風になびいている。初秋の爽やかな一日が始まる。(弓削和人)

22.白壁を朝顔の紺のぼりきる/川名ますみ
きっと白壁を這う朝顔が紺の花を咲かせているのでしょう。爽やかな朝の景色を感じます。(高橋秀之)

30.赤とんぼおのおの翅をきらめかせ/多田有花
夏から秋にかけて色々な種類の蜻蛉がみられます。特に赤とんぼうの初秋の強い日が翅に当たった姿は素晴らしいですね。(小口泰與)

31.いかづちや東京の夜を真っ二つ/西村友宏
東京の夜の激しい雷雨。ガラスの高層ビルの並びを雷光が照らし、雷鳴が轟きます。「真っ二つ」に雷の激しさが感じられます。(多田有花)
この夏は、東京にも、幾度か激しい雷雨が起きました。日頃は人工の灯が固まってきらきらと光る東京の夜景。大きな夜空に、天から地へ突き抜けるように電光が走った、その衝撃が伝わります。 (川名ますみ)

35.夏晴れる瀬戸内海の田舎町/髙橋句美子
昨今、瀬戸内海沿岸の小さな町や小島が、古い伝統を残す町並みと素晴らしい景観で脚光を浴びています。夏晴れの瀬戸内海の光景を思い浮かべ、そのことを思い出しました。(高橋秀之)

【髙橋句美子特選/7句】
02.茄子の葉へ軽い音してにわか雨/吉田 晃
茄子の葉の柔らかさを感じる句です。(髙橋句美子)

04,かなかなや峡の村なる母のさと/桑本栄太郎
かなかなの少しさびしい声を聞くと郷愁を覚えます。山峡の村の母の里に繋がる様々な思い出が蘇るひとときです。 (柳原美知子)

22.白壁を朝顔の紺のぼりきる/川名ますみ
きっと白壁を這う朝顔が紺の花を咲かせているのでしょう。爽やかな朝の景色を感じます。(高橋秀之)

27.溝萩のすっくと立ちて風のなか/髙橋正子
風が吹いても決して倒れることなく直立している様子が「すっくと」と言う表現で目に浮かびます。(西村友宏)

30.赤とんぼおのおの翅をきらめかせ/多田有花
夏から秋にかけて色々な種類の蜻蛉がみられます。特に赤とんぼうの初秋の強い日が翅に当たった姿は素晴らしいですね。(小口泰與)

21.朝影の田に濃きみどり秋立てり/柳原美知子
26.秋蝉の螺子のゆるみて鳴き終わる/髙橋正子

【入選/12句】
01.鵜がもぐる蒼き水輪の海は秋/吉田 晃
鵜にはカワウとウミウがいますがこれはウミウなのです。もぐってさかんに魚をとっています。その海もしだいに秋めいてきています。(多田有花)

07.朝涼や一湖と吾のほかになし/弓削和人
早朝の空を映すひろびろと澄んだ湖に一人佇み、朝風に吹かれる。この上ない朝涼の景です。(柳原美知子)

15.機上から青き山頂夏の富士/高橋秀之
富士山の上を飛ぶ飛行機の旅。冠雪時期は白い山頂ですが、夏場は青い山頂です。ここにも日本の夏があります。(多田有花)

16.山の日や湯煙高く露天風呂/廣田洋一
山に登って山の露天風呂を楽しむのは山登りの大きな楽しみのひとつです。麓に下りてそこの露天風呂から今登った山を仰ぐのもまたよし。(多田有花)

18.秋の蝉命の限り鳴き続け/廣田洋一
夏蝉に続いて秋を知らせてくれる蝉も七年もの土の中から地上に出てきて、ほんの短い期間を樹々を渡って命の限り鳴き声を聞かせてくれる。その最後の
声を心して聞きたいものです。 (柳原美知子)

24.新涼やけさ心地好き朝寝坊/川名ますみ
これ迄熱帯夜が続き、寝苦しかったもののここ数日、漸く朝方は涼しくなって参りました。涼しい朝方の心地よい睡眠に、朝寝坊を楽しむ作者が見えます。如何にも新涼の心地である。 (桑本栄太郎)

28.昼寝より覚めれば法師蝉の声/多田有花
昼寝はある意味至福のひととき。その昼寝から目覚めると聞こえてくるのは法師蝉。残暑厳しき中にも確実に秋が近づいてくることを感じさせてくれます。(高橋秀之)

09.大西日犬にホースの水しぶき/弓削和人
11.老鶯の声の整う沼の木木/小口泰與
19.草照らす手花火窓より愛猫も/柳原美知子
20.浄瑠璃の語りに凉し人形の所作/柳原美知子
33,ビル抜けて仕事終わりの盆の月/西村友宏

■選者詠/髙橋正子
25.夕焼けの窓を連ねて東横線
渋谷から横浜へ向かう東横線の電車。西へ行く電車の全車両の窓に夏の西日が射している。夕焼けを窓満載に横浜へ向かうのである。東横線…大学生時代を思い浮かべる、懐かしい響きである。 (吉田晃)

26.秋蝉の螺子のゆるみて鳴き終わる
勢いよく鳴いていたツクツクボウシでしょうか。だんだんと消え入るように鳴き止む様子が「螺子のゆるみて」によく表されていて面白くも儚くもあります。 (柳原美知子)

27.溝萩のすっくと立ちて風のなか
風が吹いても決して倒れることなく直立している様子が「すっくと」と言う表現で目に浮かびます。(西村友宏)

■選者詠/髙橋句美子
35.夏晴れる瀬戸内海の田舎町
昨今、瀬戸内海沿岸の小さな町や小島が、古い伝統を残す町並みと素晴らしい景観で脚光を浴びています。夏晴れの瀬戸内海の光景を思い浮かべ、そのことを思い出しました。(高橋秀之)


34.色とりどり浴衣に埋まる河川敷
36.花火の輪枝垂れ落ちて輝き散る

●互選最高点句(6点/同点3句)
02.茄子の葉へ軽い音してにわか雨/吉田 晃
22.白壁を朝顔の紺のぼりきる/川名ますみ
31.いかづちや東京の夜を真っ二つ/西村友宏

※コメントのない句にコメントをよろしくお願いします。思ったこと、感じたこと、ご自由にお書きください。

8月12日(月)

晴れ
秋夕焼け赤銅色を燃えたたす      正子
遠台風ここに及んで萱を吹く      正子
撫子を一本くわえ仏華の束       正子
●8月句会の入賞発表。正午過ぎにとりあえず発表。最終的には午後2時正式発表になった。
●入賞発表の原稿作るのに、少々疲れたが、お盆の精霊棚を飾り、明日のお墓参りの準備にお花を買うなどした。
●普段は、夕方6時ごろ散歩に出かけていたが、家に着くころには暗くなっている。今日は少し早めに5時半ごろ出かけた。家に着いたのは7時。夕焼けが消え、月に色がつきはじめるときで、まだ少し明るかった。
●贈呈いただいた文庫本の出版年を調べようと、大事な本を入れている本棚を探した。その本が見つかる前に『ヘルマン・ヘッセ全集5ー物語集Ⅲ』が見えた。家にヘッセがあったのだと、いまさら驚いたが、信岡先生が贈ってくださったものだった。ブルーブラックのインクのかちっとした字で、謹呈 髙橋信之様 信岡資生と書いてあって、二人は故人になったが、インクは全く色褪せていない。出版は京都の臨川書店。リンセンと読むようだ。どんな話か読み始めたが、「愛の犠牲」「恋愛」「ある青年の手紙」まで読んで、目がちらちらして3話で止めた。若い時の物語だからこんな感じなのだ。そういえば、トーマス・マンがない。どこへ行ったんだろ。古書店を家に呼んで本を整理したことが3回ある。その時かも、と思う。家に本はほどんどないのだが、まだ整理が足りない。

■8月月例ネット句会清記■

■8月月例ネット句会清記■
2024年8月11日
36句(12名)

01.鵜がもぐる蒼き水輪の海は秋
02.茄子の葉へ軽い音してにわか雨
03.好物の甘き西瓜を買いもどる
04.かなかなや峡の村なる母のさと
05.抜駆けのように鳴き居り法師蝉
06.勇気とて暑さにしぼむ草田男忌
07.朝涼や一湖と吾のほかになし
08.動かざる嶺より来る大暑かな
09.大西日犬にホースの水しぶき
10.隠沼の川蝉自由奔放に

11.老鶯の声の整う沼の木木
12.鮎提げ駆け来る園児顔さやか
13.立秋や青空見上げて深呼吸
14.母がむく桃を頬張る帰省の子
15.機上から青き山頂夏の富士
16.山の日や湯煙高く露天風呂
17.秋天にしかと掴みし金メダル
18.秋の蝉命の限り鳴き続け
19.草照らす手花火窓より愛猫も
20.浄瑠璃の語りに凉し人形の所作

21.朝影の田に濃きみどり秋立てり
22.白壁を朝顔の紺のぼりきる
23.晩夏光褪せし色して足もとに
24.新涼やけさ心地好き朝寝坊
25.夕焼けの窓を連ねて東横線
26.秋蝉の螺子のゆるみて鳴き終わる
27.溝萩のすっくと立ちて風のなか
28.昼寝より覚めれば法師蝉の声
29.夕刻や秋をすすめる驟雨来る
30.赤とんぼおのおの翅をきらめかせ

31.いかづちや東京の夜を真っ二つ
32.一瞬に夜空彩る大花火
33,ビル抜けて仕事終わりの盆の月
34.色とりどり浴衣に埋まる河川敷
35.夏晴れる瀬戸内海の田舎町
36.花火の輪枝垂れ落ちて輝き散る

※互選をはじめてください。5句選をし、その中の一句にコメントをお書きください。