曇り
台風の遠きにありて萱靡く 正子
秋暑し雲に力のまだありぬ 正子
梨下げてまた新しき梨供う 正子
●クララ・ヴュルツのモーツアルトピアノソナタ全集を聞く。繊細で感情豊かな演奏。ずっと聞いていられる。「繊細で感情豊か」なことは詩人や演奏家には必須条件かも知れないし、また、詩人や演奏家では平凡なことかもしれないが、普通の者が聞くには、このことに尽きると思う。素晴らしい技巧とか深い音楽とか、素人にはそこまででなくてもいい。
●夕飯のお米をしっかり浸水させて電気釜で炊いたのだが、途中で蓋が開いたままになって、どんでもないご飯が出来た。出来たご飯にラップをかけてレンジで温めてみたが、煮えたのもあるが、煮えてない米粒があるようで食べるのを止めた。「パンがないならブリオッシュを」ではなく、現況の店頭から米が消えてるからではなく、家には米がありがながら「米がないならパンを」になった。今日は三食、パン食。
曇り、ときどき晴れ、急に雨
秋の雨わが行く前を縦に降る 正子
朝顔のつぼみ育ちぬみどり濃く 正子
秋の夕降水帯の空にあり 正子
●台風10号が奄美大島の辺りに居るが、東海地方に線状降水帯があって、新幹線が運休したり、遅延したりしている。今朝、散歩に出たが、帰り家の近くに来て、急な雨にシャツの肩をびっしょり濡らしてしまった。急に降ったり、上がったりを繰り返している。
●美知子さんが昨日、8月7日漬けの愛媛新聞の俳誌紹介の記事を送ってくれた。「卯月野やジャズ漏れきたる丸太小屋/小口泰與」「沢蟹を腕いっぱいに獲ちりし夏/友田修」「すず鳴らし八十八夜の家路かな/弓削和人」の3人の句が紹介された。取り上げてくれたのは、若い記者のかたで、「花冠を楽しみながら、句を抜いてくれた」ことが、選んだ句から窺える。そう思うと、花冠の面白さ、良さを分かってくれている人はどこかに居ると思えるので、励ましになる。
●角川年鑑の原稿依頼が届いているので、これを締め切り期日までに出さなければいけない。普通郵便に日にちがかかりすぎていることを考慮しなくてはいけない。。愛媛から横浜に郵便物が届くのに5日かかっている。水曜日の消印の封書が月曜日に届いた。金曜日に届いてよさそうなものだが。
われわれ俳句など文芸をたしなむものには、郵便は大きな役目を果たしている。表面に書かれた文字面だけでなく、書かれた便箋やはがきも伝えたいことの一部なのだ。また、消印も大事なのだ。運ばれるのにどのくらいの日数が必要だったか、運ばれる間に、手紙の思いが膨らんでいることもある。はやく、読んで、と言っている手紙もある。素敵な文章の手紙なら、「文章の上質感」を、美しい布が手に触れるように感じているのだから、郵便はまだ必要なのだ。
晴れたり、曇ったり
●夏が終わろうとするのに、暦の上ではもう秋だが、朝顔に蕾が付いているのに気づいた。数えると5個あった。ハイポネックスをやって4日ぐらいなのだが、これが効いたのだろうか。そうは思えない。夏が暑すぎたのだろう。暑さが少し落ち着いて、今がちょうど昔のような夏なのかもしれない。それにしても、蔓を抜いてしまわないでよかった。
●歯科検診。午後からの歯科検診が気になって、済むまで仕事が手につかなかった。治療の必要が無くて今日で済んだ。
●『郷愁』を読んでいる。ヘッセの出世作となった27歳の時の小説だが、若い時は気づかなったが、文章が上等なのだ。ヘッセが後にもらったノーベル賞の授賞理由に「人間の古典的博愛精神と、上質な文章の例示」があげられている。高橋健二の翻訳のすばらしさもあるが、真似のできようのない文章の上手さだ。「上手」というのではなく、やはり「上質」と言わなければいけないのだろう。
『郷愁』の原題は主人公の名前の『ペーター・カーメンチント』。それを『郷愁』と訳して問題はないくらい内容に合っている。老年の今この書を読むと、青春の事柄が、疵がヒリッとするように思い出される。
60年が早もすぎている田舎の高校の級友のこと。級友は男子生徒だが、隣町から通ってきている、初めて出会った子だった。医者の家の子で、軽い小児麻痺を患って、教室を移動するのに、両サイドの机に両手を着き、両腕を支えに足をうかしてスイと移動していた。ふざけてもいたが、小柄で痩せていて、母親の顔立ちを彷彿させる、色の白い美しい顔をしていた。いつも体に少し余った制服をきれいに着ていた。一言も話したことはないが、気づくと目が合い、目が合うと彼はいつも目を逸らした。その横顔は青白くそばかすが浮いて、静かすぎた。一言声をかけ、何かを聞いてあげればよかったと、今思う。今ならそうするだろうが、全く未熟な固い果実そのままの女生徒だった。学年の人数も少ないから、彼の名前はK・Kと覚えている。
曇ったり、晴れたり
くろぐろと銀杏並木に秋すでに 正子
秋灯に靴屋の靴の片方ずつ 正子
閉店を急ぎ秋灯またたかす 正子
●台風10号の接近で、一日蒸し暑かった。夕食後に丸善へ。日吉駅から慶大の銀杏並木を見ると黒々とすっかり夜になっている。菓子の本を1冊買いたくて、この前から探しているが、決め手がなく迷う。文庫本『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/新潮社)と『郷愁』(高橋健二訳/新潮社)を買った。その後、東急の店をいろいろ見ていたら、1時間もいないのに閉店のアナウンスがあってあわてた。
『ヘッセ詩集』は訳者は同じだが、今図書館から借りている『ヘッセ詩集』とは収録している詩に少し違いがある。順番も少し入れ替わっている。「シュワルツワルト」は好きな詩だが、文庫に入っていない。今日は句美子が来ないので、一日が長い感じがした。愛媛の「ぽつんと一軒家」を見ながら、『郷愁』を読むが、目が疲れやすくていけない。コーヒーを飲みながら、チョコパイを食べたのだ。そして、早々に就寝。
晴れ、どきどき曇り
初秋の空の眺めのうすねずみ 正子
つゆ草につづき草々露まとう 正子
ベランダに葉の影重なる秋はじめ 正子
●気温は下がってきているが、台風10号のせいで、蒸し暑く、疲労感。俳句を読んでいるより、『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/小沢書店)を読んでいるほうが、よほど慰みになる。ヘッセは西洋の詩人にしては、自然への親しみが違う。そこが慰みになっている。
●吉田晃さんの『俳句の杜2024』が今日本阿弥書店から届いたと電話。お盆前に本阿弥書店から私用に1冊贈呈されている。近く、会員の皆さんに送っていただけるだろう。
●『ヘッセ 魂の手紙』が最終章に近づいた。終わりに近づくと、この本は「読み切らないといけない」と義務感のような思いになった。
「平和を願って」の章で、第1次大戦中の1915年音楽家で歯科医アルフレート・シュレンカー宛の手紙が興味を引いた。
<(・・・)戦争を理性的に見ている人々は、今ではもうドイツだけのことではなく、だんだんヨーロッパの未来について語るようになっている。それは僕にとってまったく好ましいことではあるのだが、それでも僕は、統一したヨーロッパというものを人類の歴史の前段階としてしか見ていない。方法論を駆使して物を考えるヨーロッパ精神がまず世界を支配するだろう。だが、魂の文化はもっと深い宗教的な価値はロシア人やアジア人にあり、われわれはそれを時とともに再び求めてゆくようになるだろう。>
(ここで私が思うのに、ヘッセがロシア人として想定していたのは、ドストエフスキーなどの作家ではないかと思う。)
晴れ
蝉時雨停車の長き救急車 正子
梨ひとつみずみずしくて供えけり 正子
初秋の夜にぞ流るるセレナーデ 正子
●今朝、窓を開けたらうれしいことにプランター一つが寄せ植えのよう花を咲かせていた。白の日日草、アメリカンブルー、赤い撫子、紫のペチュニアがそれなりの体裁に。昨日近所の人に朝顔が咲かない話をしたら、肥料をやって、少し様子を見たらということだった。けさ、水溶性の肥料をやった。咲くだろうか。
●『ヘッセ 魂の手紙』の第一次世界大戦時の手紙が興味深い。第一次大戦は連合国と中央同盟国との戦争だが、ヘッセは当時中立国のスイスのベルンに住み、ドイツ国籍であった。ベルンに住んでいたことと、健康上の問題で兵役にはついていない。『車輪の下』や『ペーター・カーメンツィント』ですでに有名になっていて、フランスの百か所ばかりのドイツ人捕虜収容所に書籍を送る仕事に携わっていた。ヘッセが中心となり送る図書の選定をしたり、捕虜の読書希望に応じたりしていた。成人教育と慰みの意味があったようだ。捕虜たちに本を送る仕事があったことは、私には驚きである。良い本とはなにかも、問題となっている。
戦争のとき、文化人の果たす意味が問われる。フランスのランス大聖堂’(ノートルダム大聖堂)をドイツが爆撃したとき、オランダ人画家の新聞での非難を擁護している。平和主義を唱えるヘッセは自身も新聞投稿で戦争批判をおこない、激しい非難にさらされていた。敵国の文化財を破壊することは、敵国の精神文化を破壊するのにつながるのは目に見えている。
※2019年に火事がったのは、パリのノートルダム大聖堂で、ドイツの爆撃を受けたのはランスにあるノートルダム大聖堂。名前は同じだが、別の建物。ランス大聖堂では歴代皇帝の戴冠式が行われた。
朝立ち、のち曇り
つゆ草の雨に灯れる花の青 正子
つゆ草や父母名もなく死ににけり 正子
萩の枝すっぱり刈られ処暑迎う 正子
●自由な投句箱を昨日から夏休み。代わりに『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット発行2005年)から毎日の句を掲載したら、訪問者が減るとことを想定したが、それどころか倍になっていた。西垣脩、谷野予志の句が、新鮮に思えたのだと思う。
●句集『水の音』のお礼の手紙を出す。ポストへ行く途中、近所の奥さんにつかまり、立ち話。普段挨拶程度なのだが、今日は若いころ登山が趣味で、尾瀬には20回以上行ったという話をした。1回しか行ったことがない私にはうらやましい話だが、今度高尾山に行こうと誘われた。高尾山には何種類も桜を植えているところがあり、桜のころは、いつ行ってもどれかの桜が咲いているとのこと。まだ先の春のことだから、忘れるかも知れない。
曇り、のち晴れ、夕方ひと時雨
皿洗う湯のあたたかし秋はじめ 正子
秋茄子を漬ける重しを水とする 正子
秋の夜ヘッセを読めばヘッセと居る 正子
●今日から月末まで「自由な投句箱」を夏休みにする。その間は、2005年発行の『現代俳句一日一句鑑賞』から日々の句を掲載することにした。
「自由な投句箱」の一年に一回だけある休みなので、私も休みと思われるだろうが、むしろ忙しいので、夏休みにしている。その間に俳句年鑑の原稿などを書いて提出しなければいけない。いろいろ調べて書くので時間がかかる。それに編集中の英訳俳句が暑さに負けて頓挫している。
●句集『水の音』(高橋透水著/北辰社銀漢叢書)を恵送いただいた。無名俳人の私になぜ、と思いながら著者略歴を見ると1947年、新潟生まれの同じ年。今年喜寿とのこと。これが句集を送ってくださった主な理由かと思う。
五月ごろだった、句集『雪解』(大島幸男著/青磁社)を送ってくださった大島さんも1947年、新潟生まれ。同級生というのは、会ったこともないのに、同じ時代を生きてきた。それだけで親しみがもて、元気で過ごされていることを、単純にうれしく思う。
好きな句
吉野へと人語近づき山桜
田水入れ越後の山を引き寄する
草餅や故郷焦がす網の上
冬鳥の羽落としゆく堅田かな
雪吊に闇の重さの加はりぬ
地吹雪や津軽の電車浮いて来し
老鶯やミサへ急ぎの漁師妻
雪解けの水音屋根に始まりぬ
春光を縦糸とし杼(ひ)の走る
水鳥の水一枚を分け合へり
●整形外科の定期検査。腰椎と大腿骨の骨粗鬆症の検査。ビタミンDの薬が処方された。筋肉が痛くなるような運動をするようにと。坂や階段を上るなど。
昨日、100円ショップで買った麻とレーヨンの糸ひと巻でコースターを4枚が編めた。デザインは編み始め半分は本の通り、あとは自己流。水をよく吸って、シミが付きにくそうなのだ。
曇り、のち晴れ
今年はじめてひぐらしを聞く
ひぐらしの鳴けば木立の奥深く 正子
山裾をゆくときひぐらし頭上より 正子
生えるまま姥百合咲けりマンションに 正子
●循環器内科へ10時過ぎ定期検査に。検査の数値は一つを覗いて、高くも低くもない。だんだんと粗食になっているからだと、自分では思っている。検査数値の高い「BNPってなんですか」と、薬をもらうとき薬剤師さんに聞いた。「心臓に病気があると高い数値がでるのだ」と。「心筋梗塞とか、心臓麻痺で死ぬってことですか」、とも聞いたが黙っていた。BNPについては、前にお医者さんに聞いたがすぐ忘れている。
病院から帰ると疲れていたので、いつものように座布団2枚に枕と布団を持ちだして昼寝。枕元に本を置き、シューベルトの5番をパソコンに流した。すぐに寝落ちたのか、またも自分が死んでいる夢を見た。「自分の死に満足して」、ヨーロッパの墓地のようなところに夕日に照らされて横になっている。中世の女の人が着る、足が隠れるような服を着ているのだ。この前の夢のように、「死んだばかりだから、まだ生きている」と言う感覚ではなかった。音楽は、シューベルトを聞いた記憶はなく、夢うつつの中にアルビノーニのオルガンの曲が流れていた。それから IT’s time to say good-by のビオラに変わり、目がはっきり覚めた時は Danny Boy のさびた歌声が聞こえていた。いい死にようだったなあ。
●今、読んでいる『ヘッセ 魂の手紙』は、ヘッセ研究者の間では、重要な本らしい。手紙や日記は、それ自体は実用のものだが、実用とだけ言い切れないことを、最近つくづく思っている。
曇り
夏痩せて烏夕焼け空を見る 正子
青柿に葉の幾重にも盛りあがる 正子
鉦叩たたき急ぐな夜は長い 正子
●今日は曇りだが、日傘の人ばかりが家の前を通りすぎていく。夕方のウォーキングから帰って、30分ほどして本降りの雨に。
●重曹水を作ってフローリングを拭いた。2%の重曹水なら拭いた後の水拭きがいらないというので、ほぼその濃さで作った。拭いたあとは、床があか抜けた感じになった。気をよくして壁紙にも吹きかけて拭いたが、効果はいまいち。もっと濃い方がいいのかもしれない。
●忘れな草を植えていたあとに、花の芽らしいものが育っていた。てっきり忘れな草だろうと思っていたら、けさ、紫色のペチュニアが咲いた。3本ある。去年植えて種が落ちたもののようだが、得した気分。