晴れ
信之の遺品、リルケ作品集
秋の夜を読めと遺せしリルケかも 正子
若き実に残る青さよサンつがる 正子
小さくも秋刀魚に酢橘をたっぷりと 正子
●9月月例ネット句会
投句
秋澄んで山々近く寄り来る 正子
つゆ草の露のとうめい玻璃よりも 正子
朝顔の二輪の青を仏前に 正子
Essay
(二)リルケと俳句について
●4巻まとめて箱に入ったリルケの本。風を入れるためにぱらぱら捲る。インゼル書店の発行となって、2巻が詩。初期の作品は1895年リルケ20歳のときから収録されている。一番最初に「IM ALTEN HAUSE」。翻訳がないのでよくわからないが、古い家からプラハの街を見下ろした印象が書かれているようだ。霧の粒子が体に沁み込んでくるような感じがした。
(赤字部分の年数を1985年と間違えていましたが、あさ子さんの指摘でなおしました。ありがとうございました。)
●角川年鑑の結社・俳誌動向をメールで送る。15時すぎの送信はエラーで返ってきたが、同じアドレスで、20時過ぎ送ったときは送信できた。これはなに?
●疲れからのミスが出そう。そのために、今月は仕事を減らすというより、しないようにするつもり。
晴れ
まっくらな参道ゆけば夜店の灯 正子
日焼け子ら商店街の夜店へと 正子
兎の耳のみを描きて月見菓子 正子
●角川年鑑2025年版の結社動向を書き終える。あすメールで送る予定。会員の句の選句に難渋したが、並んだ句を見渡せば、一目瞭然、花冠らしい。会員の句を選ぶ基準は「みずみずしさ、感動があるか、よい心境か、本当か」など。難渋する原因はどの句も甲乙つけがたい事。突出して良い句が無いとも言えるが、これは俳句のプロに言う言葉。とにもかくにも、これで本当に夏が終わる。
Essay
(一)リルケと俳句について
●『リルケ』(星野真一・小磯 仁著/清水書院)を読みかける。薔薇の棘に刺さって死んだ人がいると嘘のようなホントの話を聞いていたが、リルケの事だったと知る。リルケは薔薇の棘に刺さり、白血病で亡くなっている。自分の死さえも詩になっている。
●夕飯の支度をしてから、日吉の駅の丸善へ出かけた。行きは電車で、帰りは歩いて赤門坂を下って帰った。金蔵寺の参道を抜けるが、参道はまっくら。なのに真っ暗ななかを人が行き来している。少し歩くと綿菓子に長い行列ができて、商店街の夜店だった。子供たちや若い家族連れでにぎわって、小さな祭りなのに、みんな楽しそうだった。この夏の夜店も今夜で終わりだろう。
晴れ
新涼に位牌の夫がいつもいて 正子
わが心攻めて木に鳴く青松虫 正子
秋ゆうべ犬の首輪に燈がともり 正子
●紫の朝顔が初めて咲く。朝顔はこれからどんどん咲きそうで、小さい蕾がたくさんある。年鑑の原稿が気になるが、メールで送ることにした。
●ツェラーンの詩は読んでもわからない。わからないから気になる、と言う具合なのだ。『ツェラーン』(森 治著)の「はじめに」に、「一般の読者の皆様には、一篇の詩とは言わないまでも、一行の詩句、またその片言隻語とのその真の出会いを通して、ツェラーンの求める来るべき読者になっていただきたいと思う。」と書いてあった。それでいいんだと思った。
『夜と霧』を思い起こさせるツェラーンの「死のフーガ」を知ったのは開架図書で目に入った『ドイツの詩を読む』を4月に図書館から借りたときだ。句読点のない小文字ばかりで書かれたドイツ語の詩がめずらしかった(こういうのは、彼の詩の中でもこの詩だけ)。それからツェラーンの名前が気になり、5ミリしかしらないドイツ語で、解説を頼りに理解できるようになった。なんども出て来る「trinken(のむ)」と言う語。英語なら「drink(のむ)」なのだが、「t」の方が軽く、より日常的でさりがない。このさりげなさで、繰り返し「黒いミルク」をのむのだ。そういうわかりやすさがあったが、ほかの詩はメタファーは好きなのに、とにかくわからない。
俳句や詩で「わからない」ものに出会うときがある。金子兜太の「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」の句が昔、いまひとつしっくり来なかった。爆心地は広島を指すと思っていたからだ。これは長崎で作った句と知ったのは、かなり後になってからで、長崎での作なら「彎曲し」の表現に納得できたのだ。
分からないことが、ずっと後になって、何かの啓示を受けたようにわかるときがる。なんとなく好きだがわからないものがあるが、そういうのは、片言隻語でも親しんでいれば、いいのだろうと思った。
晴れ
朝顔のあしたの蕾雲へのび 正子
暮れてより白粉花のよき匂い 正子
鉦叩だれかれのこと思わるる 正子
●昨日、角川年鑑の結社動向の原稿依頼が速達で届いたが、封を切る気にならず、封を切ったのは夜中を回って。こういった原稿を書くのは、書く前から半端ない疲労感。
●レンジを新しくして初めてクッキーを焼いた。ディアマン(ダイヤモンド)クッキーを焼いてみたが、慣れていないので、説明書を頼りに焼く。手前の焼け具合がよくない。レンジのオーブン機能を使って焼いたので、やっぱりかな、と思う。デロンギの電気オーブンを買うか迷うところ。
クッキーの味は、生地はそれほど甘くなく(200gの粉に50gの粉糖)、周りのグラニュー糖で甘みが感じられる程度。70枚ほど焼けたが、口のなかでほろっと砕ける感じがほしい。
●『ツェラーン』(森 治著/清水書院)は、物語としても読める本で、引き込まれる。ツェランはヘッセの三番目の妻ニノンと同じ学校だという。これは新情報。ユダヤ人問題はあらゆるところに入り込んでいる。きずついた詩人は何人もセーヌ川やライン川に身を投じる悲しい結末になっている。
晴れ
咲きだして朝顔の花青ばかり 正子
法師蝉まぶしき朝日鳴き残す 正子
新涼の畳たいらに風流す 正子
●今朝は涼しく部屋のなかは27度。北風が吹いている。
●昨日、今日、電話で連絡することが多くて、疲れ気味。することはあるが、あきらめて、お菓子の材料を買いに東急の富澤へ。ガラス繊維のオーブンシートが見つかったので2枚セットを買った。そのあと丸善へ。今日からだろう日記帳や暦が並んでいた。ポケット日記帳を見つけたので、来年は句帖代わり買うつもり。「俳句界9月号」の評論(やまだようこ著)が気になっている内容だったので、買った。
●夕方URの団地を散歩を散歩していたところ、そろそろ暗くなっていたが、植え込みからネズミらしい動物がちょろり。すぐ草の中に入ったが又出て来たので、ネズミだと確信をもった。ドブネズミなんだろう。
曇りのち雨、また曇り。
朝ごとに朝顔剪りて仏前に 正子
りんどうの丈切り分けてガラス器に 正子
りんどうを埋めて菊の花束は 正子
●髪のカットの予約をネットで入れた。予約がスムーズに取れてほっとしたものの、5分もしないうちに、予約した時間が1時間後になっているのに気づいた。美容室は電車で2分のところ。駅までと、駅からの時間の方がかかる。無事予約時間には間に合ったが、どうしてんだろうね。
美容室の前が丸善。帰りに丸善で3枚入りの絵のある葉書きを買った。この3枚と言う数が私にはちょうどいい。今日のは滲んだような葡萄に蜻蛉止まっている絵だが、次の季節になるころにちょうど3枚が無くなる。ふうせん葛の絵もいいと思ったが、さびしそうな感じなので、葡萄の絵にした。
●句美子誕生日。メールで「ハッピー・バースデー」とだけ送った。
●晃さんの『俳句の杜2024』10冊を受け取る。
●角川の俳句年鑑の原稿、「結社動向」の依頼がまだ届いていないので、締め切りは9月13日のはず。編集部に電話すると、手違いなので、すぐ送るとのこと。
晴れ
つゆ草の露のとうめいガラスより 正子
朝顔の青き二輪を仏前に 正子
どこからも青松虫の強き声 正子
●台風が熱帯低気圧になり、まだ注意がいるらしいが、空は晴れた。家の中に吊るしていた洗濯物をベランダに干しに出て、目を瞠った。向かいのマンションから、幼稚園に出かける親子が眩しい朝日のなかに出て来た。母親の着ているTシャツが、一目でわかるローゼンタールの花柄。クリスマスが来たら、自分へのプレゼントにローゼンタールのカップと皿のセットを買おうと今から思っているその柄。
ローゼンタール(Rosenthal )はドイツの陶磁器やガラス器のメーカーだが、そこのクリスマスのオーナメントのガラスボールわが家にある。フランクフルトの俳句や生け花をたしなむホルトスさんからの贈り物で、それ一つでクリスマスの雰囲気ができあがる。ローゼンタールは「薔薇の谷」の意味。Thalは現代語ではTalと書くが、昔風にThalとなっていて、日本で言えば旧字体「谿」かぁ、と思ってしまう。「薔薇の谿」。
●角川年鑑の自選5句と住所録への返信。
曇り、雨
初咲きの朝顔は青厄日すぎ 正子
朝顔の青一輪より咲き始じむ 正子
竹やぶに来て台風の雨はげし 正子
●昨夜大雨警報が出ていたが、ここは雨があまり降らなかった。今朝、窓からベランダを見ると、青い朝顔が一輪咲いていた。今年初めての小ぶりな花に、眼を疑ったが、すがすがしい青。蕾がたくさん育っているので、秋半ばまで咲きそうだ。
大雨警報は夕方になってもずっと出ている。雨が止んでいるので散歩に5丁目の丘へ向かったが、坂を上り始めるころから、雨が降り始め、傘を取り出しすとますますひどくなったので、引き返した。
● 自由な投句箱再開。
「現代俳句一日一句鑑賞」は、鑑賞文を省いて継続して載せる。
●9月月例ネット句会の案内。
●月例ネット句会、自由な投句箱のテンプレート変更。
■9月月例ネット句会ご案内■
①投句:当季雑詠3句
9月2日(月)午前6時~9月8日(日)午後5時
②投句は、下の<コメント欄>にお書き込みください。
※どなたでも投句が許されます。
▼互選・入賞・伝言
①互選期間:9月8日(日)午後6時~午後10時
②入賞発表:9月9日(月)正午
③伝言・お礼等の投稿は、8月9日(月)正午~9月13日(木)午後6時
○句会主宰:高橋正子
○句会管理:髙橋句美子・西村友宏
曇り、雨は降ったり、止んだり、線状降水帯が小田原辺りにある
秋澄んで山々近く寄り来る 正子
かりんの実林檎ほどなり熟れはじめ 正子
つゆ草の露ためている花の青 正子
●白いダリアの花のようなキノコを路側帯の萱のなかに二本見つける。毒キノコに違いないが、秋になっている。
●パウル・ツェランを知ったのは、4月に図書館から借りた『ドイツの詩を読む』(野村修著)だった。そこに「死のフーガ」が読み解かれていた。これはフランクルの『夜と霧』を思い起させる詩である。今手元に『人と思想 ツェラーン』(森治著/清水書院)があって、読んでいる途中だが、ホロコーストと広島・長崎の原爆を経験した20世紀において、この詩人の詩を読まずには済ませられない気になるが、解説無しでは私にはわからない。ツェランのユダヤ人として経験せざるを得なかった歴史的背景が、あまりにも複雑で、また、多民族が入り混じり国が動く東欧の状況も日本人の私にはなかなかわかりづらい。多くの言語を習得していることから高い言語感覚を持っているとも思える。彼の詩が難解である別な原因として、彼が難解な状況を生きたと言うことにあるのだろうと思う。
また別の本の『パウル・ツェラン詩集』(飯吉光夫・編訳/小沢書店)の「詩論・解説」の章にペーター・ゾンティという人がツェランのある詩について解説した訳が載っている。これが興味深い。
ツェランの最晩年の詩集『雪の区域』のなかの題名はないが、仮に「エデンの園」と名付けられる詩がある。この詩には原稿の段階で(1967年12月22/23日)と日付が書き込まれている。この12月22日/23日が大事だというのだ。つまり、この詩が出来た現場の解説がある。ツェランがベルリンにやって来て、エデンという名前のホテルに宿泊し、クリスマス近い夜に書いた詩ということ。エデンと言うホテルは、うっそうと大木が立つベルリン動物園の近くにあったということ。ホテルの食事にはクリスマスの雰囲気のあるものが当然あったということ。この現場から詩人は実際を通して詩を紡ぎ出した。
ドイツへ家族旅行をした際、5年生だった息子がベルリンに行きたいというので、他へ行く予定を止めて、フランクフルトから小さい飛行機でベルリンへ行った。ベルリンの壁は前年に壊されてはいたが、まだ一部が残っていたし、それを見には行った。壁から向こうに立つ東の質実な、いや、貧しそうなアパート群も見た。それからベルリン動物園に行ったが、これがツェランの詩にある通りの印象だった。動物園は大木でうっそうとして、ライオンに陽があっていないのでは、と思うほどだった。動物園前の広場の空は今にも降りそうで高く広かった。あまりにも寂しく人さらいでもいそうな感じだったのは、広場に警察と書かれた小さい車両が数台いて、5マルク(当時はユーロではなくマルク)のピザを晩ご飯にする人の列があって、子どもがポーランド人を見て「ポーリッシュ」と卑しんで言うのを聞いたりしたからだ。ベルリンはそういうところだった。
ベルリンのこの情景を思い出し、難しいと言われながらも、ひとつずつ糸をほぐしていけば、意外にも親しい詩であることが感じられた。わかるわからないに拘わらず、読んだ方がよい詩だと思った。ヘッセやリルケよりずっとわれわれにより密接な世代の詩人と言えるのだろう。