■10月月例ネット句会清記■

■10月月例ネット句会清記■
2024年10月13日
39句(13名)

01.せせらぎに従うように木の実落つ
02.トンネルのさきは秩父の秋の雲
03.窓枠に星の散りゆく夜さむかな
04.蜻蛉のつんつん水面翔けにけり
05.鈴の音のひときわ高き秋の猫
06.利酒や立ち振る舞いの為人
07.ついと前ついと前へと赤とんぼ
08.ばりばりと雄を食み居りいぼむしり
09.ぴ~ひゃらと笛を吹きつつ秋小鳥
10.早起きや群れ翔ぶ蜻蛉の胴は赤

11.出迎えの薄羽きとんぼ市営墓地
12.秋の朝見上げた青空一番機
13.実家から貰いし柿の甘きこと
14.ひんやりと感じる風は秋の朝
15.居酒屋で友と分け合い秋刀魚食う
16.うす紅葉金の御身の九品仏
17.日にそよぎてらてら赤き曼殊沙華
18.星あかり地に棲む小さきものの声
19.鵙猛る午後の強風正面に
20.烏瓜朱をあざやかに風の中

21.秋祭り子ども屋台が練り歩く
22.草軽く枯れて雀ら遊ぶ野へ
23.さざ波に浸るフジツボ磯は秋
24.訳あって笊山盛りの青蜜柑
25.新米や納豆巻の夕餉とす
26.炙りたる銀杏売られ八幡宮
27.敗荷や鯉の動きは変わらずに
28.葉隠れに葛咲く雨の土手を墓へ
29.トラックに新米満載農ら笑む
30.曼珠沙華畦を描いて空真青

31.工場に若木植えられ秋高し
32.ゆるやかな坂の果なり秋の雲
33.秋空を目指せば坂のひろびろと
34.晴れた日の並木の道を舞う落葉
35.朝が始まる水にどぼんと赤林檎
36.高窓の陽が差す私の白マフラー
37.やわらかくやわらかく秋夜のストレッチ
38.風邪の喉柿の甘さが染みる朝
39.手に取ればずしりと重し赤林檎

※互選をはじめてください。5句選をし、その中の一句にコメントをお書きください。

10月13日(日)

晴れ
甘藷蒸かす大きな蒸し器の時代物   正子
はらはらと塩をかけられ蒸かし藷    正子
紫蘇の実の天ぷら香るひとりの餉   正子
10月月例ネット句会
投句
日にそよぎ日に染められて曼殊沙華(訂正)
星あかり地に棲む小さきものの声
うす紅葉金の御身の九品仏
浄真寺の三品堂に祀られる御仏は全て黄金色で、外のうす紅葉を引き立てる。金の御身が良い。 (廣田洋一)

●世論調査の電話があった。いつもは電話を切るが、今日は参加した。支持政党と投票は誰にするかなど。
ガザの子どもと原爆の子を比べるのは時代が違うとイスラエルが非難。どの時代でも、どこの国でも子供は幸せであるべきなのに、なんということを。

●リルケについて少し知るうちに親しみがもてるようになったが、ここが危ないところなのだろう。一応、リルケの読み方というものがある。それを教えてもらったわけでもなく、もちろん自分の「リルケの読み方」が確立しているわけでもない。一つの本を読み、前の考えを訂正し、また別の本を読み、また訂正し、となって、結局何を知り、何がわかったというのだろう。はじめは、「リルケと俳句」についてだけ知りたかっただけ。だけれど、すべてが過程。落ち込んだのか、迷っているのか、自分ではわからないが、あまり、いい気分ではない。昨日、今日、『神さまの話』(リルケ著/谷友幸訳)を読んでいるせいかも知れない。それでどうしようもないので、ベートーベンの「皇帝」を聞く

10月12日(土)秋祭・宵宮

晴れ
宵宮の御輿据えられよく光り  正子
宵宮の杜の木立に燈が灯り   正子
祭り来とわが家の花に野の花を 正子
●夕方駒林神社の宵宮に行った。五時前だったので、ちょど御輿を据え、準備ができて、町内会の役員たちが一服しながら何か飲んでいるところだった。売店の準備もできていた。やきとり、綿菓子、ポップコーンを試しに作っているところだった。水ふうせん、おおきなボールにカラオケの舞台などがあった。祭りのお囃子を小さく流している。東にある小さい本殿と西にある小さい稲荷社に賽銭をあげて、見るものもないので帰った。賑やかではないが、里祭りのなつかしさがいっぱいだった。
●『神さまの話』(リルケ著・谷友幸訳/新潮社)は初版が昭和28年。平成23年51刷とある。一話だけ読む。それは「闇にきかせた話」で、幼いころ、幼友達のふたりは遠い親戚のお金持ちの人が来るのを待つが、ついに来なかった。大人になって二人の幼なじみは、また会うことになって神を待つが。とうとう神は来なかった。この『神さまの話』は25歳のときの2か月のロシア旅行の成果だそうだ。
花」と言えば、
何の花を思い浮かべるだろうか。AIに5つ挙げてもらった。ぱっと思いうかぶのは3つ目ぐらいまでだろうが、4つ5つ目も「らしさ」がある。
クーシューが「咲くからに見るからに花の散るからに 鬼貫」を注釈するのに、「一瞬の閃きのうちに、万象の途切れることのない流れと、」と言っている花を感じさせるのはどの花か。AIのあげた花を見ても桜以外に考えられない。桜はきわだって特別な花と思える。木の花であること。いっせいに咲くこと。いっせいに散ること。花期が短いこと。ボリュームがあること。日本中にあること、そして重要なの大勢の人が翌年の開花を信じて楽しみに待つこと。
フランス:バラ・リラ・チューリップ・ヒマワリ・スミレ
ドイツ:バラ・ヒナギク・ヒマワリ・バンジー・ゼラニウム
スイス:エーデルワイス・アルペンローズ・リンドウ・アネモネ・カランサス
オーストリア:エーデルワイス・アルペンローズ・リンドウ・マグノリア・ペンステモン
イタリア:ヒマワリ・ポピー・ラベンダー・アイリス・カモミール
イギリス:バラ・ブルーベル・ヒナギク・ポピー・ラベンダー
日本:桜・梅。菊・藤・つつじ

10月11日(金)

晴れ
快晴の空へ鵯飛び出し     正子
貴船菊紫あれば白もあり    正子
新聞に挟みし紅葉のこと忘れ  正子

●気持ちよく晴れた。図書館へ本を返却。新しく借りた『「日本の伝統」の正体(藤井青銅著/新潮文庫)を読んだ。面白いような退屈なような、本だった。古い伝統のあるものが、実は新しいものだったり、伝統の正体は本当のところどうなんだ、と言う話が46項目について考察されている。
「東洋」についてが目新しかった。「桜」も時代による種類の違いを考えなければいけないと気づかされた。西の芭蕉の鬼貫の詠んだ桜はどの種類の桜か、早速、調べる。
●2024年ノーベル平和賞が「日本被団協」に与えられた。この賞に対して、はじめNHKは戸惑いを見せていたし、複雑な心境なのだろうと言う印象をもった。ノーベル文学賞も韓国の女性作家に与えられたが、世界情勢を反映している。核兵器がいますぐにも使われそうな戦争の雰囲気だし、北朝鮮の問題もある。ノーベル賞の姿勢がよく見えたように思えた。

10月10日(木)

曇り、ときどき晴れ
 にんじんケーキが焼けたので
友訪ぬ葛と穂草の道を踏み       正子
  バッハを聞いて
身に入むに「人の望みのよろこびよ」  正子
夜寒さの床(ゆか)にリルケの本三冊   正子
●寒露がすぎて、すっかり晩秋らしくなった。人参ケーキを焼いた。新しいオーブンでケーキを焼くのは初めてなので、焦げ過ぎないようにするのに苦労したが、何とか、しっかり焼けた。人参ケーキはこれまで何本焼いたか数知れないのに、オーブンの機嫌をとるのは難しい。冷めたところで半分を晴美さんに持って行った。

●ここ寒暖差がひどくて、11月ではないか、と思うこともある。そろそろ花冠の編集に入らなければいけないかと思ったり。いや、もう少しあとでもいいのではと、思ったり。季節を読みとる感覚がどうにかなっている。
●「俳壇」11月号が届く。俳人の大井恒行さんが「俳壇時評」で「現代俳句協会は、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会から離脱せよ」の文を書いていた。推進協議会ができた時の会長は有馬朗人先生だった。私などが言うのもどうかと承知しているが、「なんと馬鹿なことを」を思っていたので、大井恒行さんのような意見があることを嬉しく思った。俳句はゲーテが言うような「世界文学」になっている。一応、われわれは俳句を文学と考えている。こんなことを考えると、細部の意見はそれぞれ異なると思うが、世界遺産への登録は止めておくのがいい。
『世紀末ウィーン文化評論集』(ヘルマン・バール著/西村雅樹編訳/岩波文庫)の「日本展」のところを何気なく読んでいた。これはヘルマン・バールと言う評論家が「日本展」について書いたものを西村雅樹先生が訳されたもの。パリやウィーンでの万国博覧会に出展された日本の絵画や工芸品、果ては民具などを通して、19世紀末ヨーロッパで日本流のものが芸術家たちに大変関心を持たれ、根本的なところで影響を与えたたことを述べている。前にも読んでいたので、知識としてそうなのだと知っていた。しかし、どのくらい?どんな感じで?というのが実感としてわからなかった。それが久しぶりに本を開いてリアルにわかった気がした。

「日本展」にバールが書いてあることが実感でき、これはこの事を言っている、あれは、あのことだろうと繋がってきた。日本流のものの流行りはジャポニスムと呼ばれる。
なぜ実感できるようになったのかは、ここ涼しくなってからの、私の事を振り返ってみるとわかる。第一に。ネット上に公開された大学の論文のお陰と言えるのだ。ジャポニスムについて疑問に思ったことは、ネット上でそれに関して大学や国会図書館、情報研究所が公開している論文が読めたことが大きい。だれかが、考えてくれている。論文は7本読んだだけだが、ジャポニスムについてはゲルマにストの先生方の功績が大きいと思えた。同時に「リルケと俳句」についての論文もネットから印刷して読むうちに繋がるものもあった。多層的に理解できたと言える。
またヴァーチャル・ツアーのお陰もある。「モネのジヴェルニーの家」などが論文の実際を見せてくれた。「セザンヌとリルケ」の論文で、セザンヌの画が見たいと思えば、ネットを探せば、解説付きで見れた。クリムトの画も、北斎漫画も、富岳三十六景も見れた。
また、図書館の本は二、三十年前の本がほとんど。この古さが深いところで関連性を気づかせてくれるので役立った。「日本展」がよく読めるようになったのが、この秋のみのり。

10月9日(水)

雨のち曇り
りんご噛みりんごに混じる味のなく  正子
どんぐりの供物にまじり供えあり   正子
秋冷の野に食ぶたまごサンドウィッチ 正子

●今日も雨で最高気温17℃。すっかり晩秋の気配。生協の配達でおでん材料が届く。ミニ大根を間違えて二本注文していたが、多分使い切れるだろう。

『近代絵画の巨匠たち』(高階秀爾/岩波現代文庫)を読み終える。ボナールは晩年とくに身辺の物や景色や人物を描いているので、親密派とも呼ばれている。ナビ派にも参加していたが、本気ではなかったようだ。浮世絵版画の影響を受け、日本美術に大変関心を寄せていた。モネ、セザンヌ、ゴッホのほかにボナールまでとは驚きだった。(もちろん彼らの前にクリムトも浮世絵や日本美術の影響は受けているが。)庭に自ら好む植物を植え、植木屋には手を入れさせなかったという。葬儀の日の朝、ミモザやあんずの木にめずらしくうっすら雪が積んでボナールを悼むかのようだったという。最後に描いた「花咲くあんずの木」(1947年)のあんずはボナールのもっとも愛した木と言われて、見ていると懐かしいような画である。あんずは人によってはアーモンドとも呼んでいるけれど。彼が住んだ家は霧に透けた屋根がばら色に見えるので「小さなバラ色の家」と呼ばれ、幸福な画家とされている。亡くなるときは、「逆光の裸婦」などに描かれた妻(愛称マルト)も亡くなっており、孤独に暮らしたということだ。あんずの木は昔生家にもあって、この花のやさしさは子どもの心を癒したと思う。
「ボナールとマルト」のフランス映画が今年9月24日日本で公開されたということだが、見たかったな。最近ボナールの人気が高まっているようだ。

10月8日(火)寒露

あかあかと照れる林檎が目を奪う  正子
燈明のほのかに灯り寒露なり   正子
朝顔の支柱ほどきて雨つづく   正子

●今日は寒露らしく、気温が朝から上がらず、20度から次第に下がっていった。雨はしっとり降り続いて、長く歩けばずぶぬれになりそうだ。用事で日吉に出たついでに丸善に寄る。『リルケ詩集』(リルケ作・富士川英郎訳/新潮文庫)を買った。『リルケ詩集』(リルケ作・高安國世訳/岩波文庫)とどちらにするか「形象集」の「秋」のところを比べ、富士川訳のほうが意味がすっと落ち込んでくるので、こちらにした。面白いことに「木の葉が落ちる(富士川)」と「木の葉が散る(高安)」、「地球(富士川)」と「土地(高安)」の違いがあった。星野訳は、古本でいつか買うことにしている。
Essay
(十三)リルケと俳句について
●立ち読みだが、「新詩集」の「老女」を読んだとき、思わずわが身を振り返った。やさしく、懐かしく、箪笥のナフタリンの匂いと共に思い出される少女時代。この心持は自分を顧みながら俳句を作るときの心境みたいだと。
リルケについて読むうちに、だんだん引きずられていくようになっている。沼にはまってはいけないのに。『ふぃれんちぇだより(フィレンチェ日記)』(リルケ著)を訳し、リルケ作品を愛読したと言われる哲学者の森有正の言葉がネット上にあった。
 「リルケの名は私の中の隠れた部分にレゾナンス(共鳴)を惹き起こし、自分が本当に望んでいるものが何であるか、また自分がどんなに遠くそれから離れているかを同時に、感得させてくれる」 この言葉はほんとうによく言い当てている。祈りにも似た言葉だ。
そして、ネットサーフィンをしていて、リルケを立ち読み中に魅かれた「新詩集」について
「リルケの<事物詩>成立ーー詩と事物のアナロジー」(小高康正著/関西大学学術リポジトリ/国立情報研究所)があったので、印刷した。「新詩集」についての論文。

10月7日(月)

晴れ
降って来て木の実ぱらぱら吾を打つ  正子
木の実降るみずから落ちて傷つく実  正子
どんぐりの土に弾けてかがやけり   正子
日にそよぎてらてら赤き曼殊沙華   正子

●お昼ごろ、里山ガーデンへ。あと一週間で閉園するので出かけた。9月14日、開園の日に訪ねていたが、今日は花がうらさびた感じで、一か月でこんなに変化するのだと思った。写真は撮る気にならなかった。むしろ句を詠むほうがよかった。森の道は虫がよく鳴き、大風が吹くと木の実がバラバラ降ってきて、肩や背中を打つので痛い。田んぼに出ると、彼岸花が萎れているところ、まだ咲いているところと、花の終わりが近かった。田んぼの遊歩道沿いに大きな木があり、風が吹くと青い木の実がいくらでもアスファルトを叩いて落ちて来る。日差しが強く暑いので、大きな木の下の椅子で休んだ。休んでいる間も、盛んに青い木の実が音を立てて降ってくる。お昼がわりに、この前と同じにアンパンを食べ、氷水を飲んだ。帰る予定の3時には時間があるので、里山ガーデンの外の光が丘団地へ出て、春に来たことのある道を神奈川大学のグランドを見ながら下り、森の台小学校を過ぎ、坂を下り、紅梅が綺麗だった畑をすぎ、緑区役所に出て中山駅まで歩いた。今日歩いたのは3キロ半。
帰りの電車で『近代美術の巨匠たち』のルドンのところを読んだ。4時には家に帰れた。
Essay
(十二)リルケと俳句について
リルケは『新フランス評論』(1920年)の「ハイカイ特集号」で初めてクーシューのフランス語訳を通してハイカイを知り、その後クーシューの著書『アジアの賢人と詩人』を手に入れ、重要なところに数種のアンダーラインを使い分けて引き、読み込んでいる。それによれば、リルケは、クーシューのフランス語訳の次の鬼貫の俳句に特に関心を示している。(注1)
  咲くからかに見るからに花の散るからに 上島鬼貫
この句の「からに」は古語で、「~するとすぐに」の意味である。
クーシューのフランス語訳は
Elles  s'  épanousissent,  alors                 彼女たち(花))は咲く、そして
On les regarde, – alors les fleurs      人は彼女たち(花)を見る―そして花々は
Se fletrissent,- alors..           しおれる―そして..  (正子日本語訳)
          ※ fleur(花)は女性名詞なので、elle(彼女)で受けている。ここでは複数形。
このフランス語訳で気になることがある。この句の「花」をクーシューは「桜」と認識していたのだろうか。「散る」を「しおれる」と訳しているので、「桜」の感じがしない。哲学者(そして医者)でもあるクーシューは何を意図していたのか。この句についてクーシューは次のように注釈をしている。
「さらに一層哲学的なもう一つのハイカイがあります。これは一瞬の閃きのうちに、万象の途切れることのない流れと、仏教の無常が三行の内に集められています。未完成が、表現の驚く以上のものとなっています。感覚的な世界のイメージそのものです。」(注2)
この注釈の「一瞬の閃きのうちに」からは、これは「桜」の花のイメージ以外何物でもないと私は感じる。また、この注釈に「リルケと俳句世界」の論文の著者の柴田依子氏は、「この仏訳句は、開き散ってゆく花の在り方と人とのかかわりのイメージを、alors の語を反復しつつよく伝えている詩的な形態となっている。」と述べている。「alors」は英語なら「then」に当たる。
リルケはこれを「その短さにおいて言いがたいほどの熟した純粋な形の翻訳」(「リルケと俳句世界」)と言い、鬼貫の句を、「ただこれだけです! 甘美です!(rien des plus! C'est delicieux!) 」(「リルケと俳句世界」)」(注3)と受け取っている。rien des plus!」は、辞書どおりに受け止めれば、最高のものを誉めたり、受け入れるときの言葉で「最高にすばらしい!」である。”rien des plus! C'est delicieux!”は英語に直すと“Nothing better! It’s delicious!” となる。
ただ、「ただこれだけです! 甘美です!(rien des plus! C'est delicieux!) 」をあくまでも私の受け止めだが、リルケの気持ちば「ただこれだけです!」は、たったこれだけのことで、これほどのことを言っていると取れる。「甘美です!」は柴田氏の訳ではリルケの他の詩で delicious」は「甘美な」になっているので、このままの解釈で置く。
ほかにも、リルケがハイカイに出会ったときの驚きと喜びは、技師であった夫とともに日本に滞在経験のあるネルケ夫人への手紙で知れるところである。「あなたは短い日本の(三行)の詩形をご存じですか」と。(注4)この時点でリルケはハイカイを作るに至っていないが、のちに3つのハイカイを作っている。亡くなる1年前に書いた墓碑銘の薔薇の三行詩もヘルマン・マイヤーによるとハイカイだと言われている。最晩年のフランス語の24篇の短い詩が俳句の影響を受けていると言われている。これらについては別のところで述べたい。
ここで考えられるのは、クーシューのフランス語訳では、花が桜とは感じにくい。なぜなら「花」が一般的な花(fleurs/複数)である。そして「散る」が「しおれる(se fletrissent)」だからである。一般にフランス語で「花が散る」は、「Les fleurs tombent」 で、クーシューはほかの句の訳で「(花が)散る」に「tomber」を使っている。あきらかに意図があると思える。それが、クーシューが鬼貫の句に付けた先の注釈に見られる意図であり、柴田氏の指摘する詩的解釈である。
鬼貫の「花の散るからに」の「からに」は、来年に咲く花(桜)への期待や、輪廻転生の思いが読みとれる。「桜」にある、軽さ、透明感は日本的心情または美意識であろうが、フランス人にとって、普遍的な「花」を「桜」とすれば、かえってわかりにくくなるのかも知れにない。注釈は、全く桜のイメージなのだが。これが謎である。ここが俳句翻訳の難しさであろう。
さて、鬼貫(1661年ー1738年)と「桜」について少し考察したい。鬼貫は「東の芭蕉、西の鬼貫」と言われた元禄時代、江戸中期の関西の俳人である。彼の句集『独ごと』では、「まことの外(ほか)に俳諧なし」と述べている。芭蕉とは芭蕉の弟子を通して知りあっていた。リルケは鬼貫を芭蕉一派、弟子と思ったメモがあるが、(注5)弟子ではない。
鬼貫の見た桜はどのような桜であったろうか。
奈良時代、「花」が「梅」を指すことは知られている。「花」が「桜」を指すようになったのは、「古今和歌集」あたりとされる。在原業平や西行では、はっきり桜である。そして平安時代から明治までは「桜」は特に西日本に多い山桜である。日本人が花見をするようになったのは、八代将軍吉宗が桜好きで、河川の整備や美観維持のために桜を植え、庶民の間で花見が一般化したから、とされる。このころは、エドヒガン、オオシマザクラなど種々の桜が植えられ、咲く時期も花色も違う桜が、群桜として1か月ぐらいかけて花見をしたようである。幕末から明治初めにかけ、ソメイヨシノがエドヒガンとオオシマザクラの交配種として生まれたが、この花は白っぽい花が密に一斉に咲く特徴がある。桜の美意識として、「潔さ」があるのは、ソメイヨシノの散り方の特徴からである。さらには、第2次世界大戦時の特攻機の滑空機名に「桜花」とつけられたり、「同期の桜」の軍歌などにより、散りぎわの潔さが強調されるようになったことにあると言う。それを現在もどこかで、伝統的な「桜の美」として意識しているのではないか。(注6)
「咲くからに見るからに花の散るからに」の「花」は、当時、われわれが現在見るソメイヨシノはまだなく、「山桜が咲くからに」であろう。その散りようも「山桜の散りよう」であろう。クーシューのフランス語訳と鬼貫の句を比べるとき、この事実を知っておくのが良いと思う。
リルケがハイカイに出会ったのが45歳のときであるから、クーシューの注釈を、リルケは詩人のとしての経験と洞察で、俳句を理解したのではないかと思う。リルケと俳句の出合は、その感動の言葉「rien des plus! C'est delicieux! 」をして、私には、「驚き」と「喜び」の声として聞こえる。
参考までに述べるが、アメリカでは詩人のエズラ・パウンドを中心としたイマジストたちが日本の俳諧に影響をうけ、俳句を作っている。彼らがもっとも関心を寄せた句は
  落花枝にかへるとみれば胡蝶かな 荒木田守武
である。彼らはこの句の英訳句に、イメージの重層性による詩的効果を見て、彼らも英語で俳句を作っている。たしかに彼らは詩人なので、彼らの英語俳句の言葉は簡潔で洗練されており、緊張感がある。最近の英語俳句とはその語彙とイメージにおいて、一線を画しているように思う。
(注1)~(注5)は「リルケと俳句世界」柴田依子著/比較文学vol.35 1992年)より
(注6)の段落の「桜」については、『「日本の伝統」の正体』(藤井青銅著/新潮文庫)を参考にした。

10月6日(日)

曇り
アジフライさっくり揚がる秋の暮   正子
りんごサラダ遊べる皮の紅の色    正子
花ふよう数十おなじ花の向き     正子
●朝起きて窓からベランダを覗くと朝顔が十ほど咲いている。まだ咲くかもしれないが、明日は支柱を外して、片付けよう。

●里芋を買いにJAの直売所に行ったが、里芋どころか野菜が少ない。小松菜や茄子は飽きたし。栗と枝豆とラ・フランスが目についたが、里芋はまだ早いのかも。でも芋名月の十五夜は過ぎてるし、どうかなっているのか。

夕方、友宏さんが来るので、おふくろの味料理をもって帰ってもらう。アジフライ、ほうれん草の胡麻和え、林檎のサラダ、高野豆腐とインゲンの炊いたの、ごぼう,人参、じゃがいも、こんにゃく、厚揚げ、竹輪の煮もの、はりはり大根。「買った料理は食べれん、これが楽しみで。お世辞ではないです。」だそうだ。梅ジュースをもらっていくと言うので、入れ物がないので、スープジャーに入れて渡す。これからはお湯で割って飲むのがおしいという。私は、ヨーグルトにかけている。

今日一番おしいのは、林檎サラダ。胡瓜、ハム、サンつがるをマヨネーズで和え、少しだけ黒コショウ。胡瓜は塩でこすり、すぐ洗い流し、3ミリくらいの輪切り、林檎は皮つき5ミリ幅くらい。

10月5日(土)

小雨  
  鶴見川 
ぎす鳴けり潮の匂いの上りきて    正子
秋の蚊の飯噴くころに増えにけり   正子
秋冷に紅茶を淹れに椅子を立つ    正子

●ヴァーチャル・ツアーで「ジヴェルニーのモネの家」を見た。庭と部屋の内部が見れるが、モネの油彩を飾っているのは大きい一部屋、浮世絵を飾ってあるのが、玄関ホールのほか二部屋。浮世絵の収集の多さに驚く。ンプルな額縁に入れて飾ってある。ジャポニスムは一過性のブームではなく、大きな影響を与えていると知らされた。
Essay
(十一)リルケと俳句について
●リルケは1920年9月、『新フランス評論』(1920年9月1日)「ハイカイ特集号」のフランス語の翻訳を介して初めて俳句を知っている。このとき、鬼貫の
「咲くからに見るからに花の散るからに」
に感動し、日本滞在の経験のあるネルケ夫人に「あなたは短い日本の(三行)の詩形をご存じですか」と手紙を出している。

同年10月には『アジアの賢人と詩人』(P.L.クーシュー著1916年初版)1919年をパリで購入(三刷本)して、アンダーラインを引き、丹念に読んだことが、遺された蔵書の研究からわかっている。
クーシューはこの著書の第二章「日本の抒情的短詩」において、6ページほどを俳諧総論として置き、俳句の定義、特質、起源、作者などについて、日本の版画などと比較しながら簡単に紹介し、さらに具体的に俳句を約70ページほどを訳出し、注釈をつけている。クーシューの説明にリルケがアンダーラインを引いているところがある。四つ挙げるが、それがリルケが受け止めたハイカイである。

①俳句の一般的な特徴は大胆なほどの単純化である。ハイカイは一枚の日本風クロッキーに比較できる。
?ハイカイは我々の目に直接訴えてくる一つのヴィジョンであり、我々の心に眠っている何かの印象を目覚めさせてくれる生き生きとした一つの印象である。
③Un petale tombe                 ひとひらの落ちた花びら
    Remonte a sa branche   再び枝にのぼる
    Ah’c'est un papillon!   ああ それは蝶
ARAKIDA MORITAKE
(原句 落花枝にかへるとみれば胡蝶かな 荒木田守武)
この最後に示した例は典型的なものである。ひとつの短い驚き!これが俳句の定義そのものである。
④これら(3つの描線)は、他のいかなる振動にも限定されず、ほとんど際限なくおのずと広がってゆく振動に似ている。
リルケはハイカイを知ったのち、ハイカイの影響を受けて短いフランス語の詩を書いている。影響はどのように詩になっていったかを知りたいところである。
(リルケのフランス語の詩をここに引用する代わりに、我々俳人は、庭に咲いている薔薇の花を思い浮かべ、その薔薇について俳句を作るつもりで以下を読んで欲しい。)

「薔薇」(詩篇I)には、
薔薇の爽やかさに「短い驚き」を、薔薇の花は中心に眠りを持ちながら全体目覚めているというイメージに、「我々の心に眠っている何かの印象を目覚めさせてくれる」を当てはめ、そして一詩そのなかに、リルケの中心的なテーマである「生と死の統一体」が「眠り」と「目覚め」の対比的な語の組み合わせで、簡潔に自在に実現されている。

リルケの詩人としての偉大さは、薔薇を観察する洞察の深さと、自分の中心的テーマ「生と死の統一体」を簡潔に自在に詠み終えていることである。
(つづく)