11月5日(火)

晴れのち曇り
秋の灯を点し円環の観覧車   正子
乗り換えし電車の座席秋温し  正子
駅出口スタジアムへと秋澄みぬ 正子

●新横浜駅に行った。手元にEX予約というカードがある。何回か使ったが、旅行しなかったので、長く使っていない。ネットで調べるがやり直してくださいとのみ。これが使えるものかどうか。駅員に調べてもらうと、問題ないという。新幹線に乗るのさえ、知識を更新しなくてはいけなくなっている。

駅ビルに来たついでに、ビルを見物。三省堂が有隣堂になっている。高島屋はとっくに撤退して、喫茶店と弁当を売る店が圧倒的に多い。ロフトやユニクロやレストラン街を見て歩く。

ロフトを見ていて、来年の干支のガラスの蛇の置物を見つけた。裾に紅梅の絵付けがしてある。そこに金粉がいれてある。ガラスなら、蛇でも可愛らしさがある。

輸入物のクリスマスカードがあった。よさそうと思ったが、もう少し色々見て買うことにした。クリスマスカードを贈って、誰が一番喜ぶかというと、谷間にいる男性。忘られかけている人たち。遠い眼差しで、巷のクリスマスの賑わいを傍目にみている人たち。こういう人たちに、時期が合えば、句集のお礼などにクリスマスカードを贈る。花冠の1月号を送るときに挨拶に入れておく。そうすれば、目が覚めたように、喜びのまさかのお礼状が来る。贈らせていただけて、こちらも楽しんでいる。

●1月号に載せる「リルケと俳句と私」は、第一部「リルケと私」だけを載せる決心がついた。手を入れて思い残しがないように書き直す。第二部の「リルケと俳句」は、次号の七月号に載せることにした。何かに間に合わせようとして、急ぐ癖がある。そういう考えは止めなければいけない。

11月4日(月)

晴れ
秋朝日洗車の水をかがやかす     正子
柿の実の粉吹くほどに空晴るる    正子
テーブルの林檎黄みどりよく匂う   正子

●朝起きたのは6時すぎ、晴れて気持ち良かった。5丁目の丘に小鳥が来ているだろうと、散歩に出かけた。かりんの実が鈴なりに生っている家がある。富有柿がよく熟れている家もある。一番楽な路を上ることにして、鯛ヶ崎公園のところから上った。鵯がよく鳴いていた。丘の小学校の近くに来ると、グランドのネットに鳥の群れがいる。椋鳥が二十羽ほどと、インコが十羽ほど。椋鳥もインコもすぐ近くの森とネットを行き来している。インコは大きくて、朝日に黄緑色の羽をきらめかせている。四十雀の地鳴きの声が聞こえるので、樹の中をのぞくと姿が見えた。

坂の途中で洗車している人に会ったが、ほかには、誰にも合わなかった。わが家の前を散歩する人が急に通らなくなって、信之先生とあの人どうしたんだろう、という話をすることがあった。信之先生だって、気が付けば、見かけないということになっていたに違いない。老人は、ほんとうに明日はどうなるかわからないところを生きている。

●編集は予定分は進んだが、もしかして、編集が難しいのではと思い始めた。自分の原稿を1月号に入れるかどうか。三週間ほど前、武満徹と小澤征爾の音楽の対談を読んでいたとき、それはそれで面白く、貴重な内容だったが、リルケが読み進めなくなった。それで途中でやめた。そのとき、高階秀爾の近代西洋絵画の話も読んでいたが、リルケが読めないということはなかった。それは、画や音楽と文学との関係性という単純なものではないと思うが、何でこうなるのだろうか、と。

11月2日(土)


●一日雨。ニュースによると、松山は危ないくらいの大雨だったらしい。今朝は、寒くなっていく季節のなか、いつも高めの血圧が100を切っている。どうりで、気分がよくない。一日中こうだった。

●ますみさんと有花さんの散文原稿をAIも使って編集。

●HAIKU SPOTLIGHT(No,1(1968年)~No.70(1970)に投句した外国人を数えたら、57人になった。50人と思ったがそれ以上だった。主にはUSAだが、UKやドイツ、イスラエルからも投句があった。

11月3日(日)文化の日

晴れ
どんぐりをひとつ拾えばポケットに  正子
山坂に鳩が木の実の何か食ぶ     正子
無患子も椋の実も落つ坂ひそか    正子

●今日は文化の日。文化の日はいつも晴れる。きのうの雨も今朝はあがった。夕べは雨で冷えていたので、布団の上に毛布を重ねた。お陰で朝までホカホカで眠れたが、目が覚めたときは、ピカピカの空だった。テレビでは大学駅伝が始まっいて、青学が先頭を走っていた。つぎに見たとき、国学院が青学を抜いていた。見ていてもわかる。国学院は、脚が軽快で、ストライドが大きくて、素人目にも優勝しそう。結果出雲につづいて2冠。

●ますみさんが言っていたルプーの演奏を聞いた。ルプーとウィーンフィルのK488だった。K488は、ピアノコンチェルト23番。弱音で弾くモーツアルトの魅力。永遠の眠りにふさわしい。いつかは、眠りから覚める日もあるだろうことを予感させる。リルケの墓碑に刻まれた詩が似合いそう。
 薔薇よ、おお純粋な矛盾、
 誰の眠りでもない眠りを あまたの瞼の陰にやどす
 歓び。                     (リルケ作・星野慎一訳)

11月1日(金)

晴れのち曇り

家が建つ花野をとなりに光らせて  正子
風吹けば花野かがやく野となりぬ  正子
秋薔薇のくずれず咲けり公園墓地  正子
●句美子から角川俳句のゲラが転送されてきたので、念のため校正する。エッセイの内容と俳句があっていたので、合格。訂正はなかったので、すぐ返信。

●今日から11月。2丁目の丘へ上った。普通部のテニスコートに出て、いつもと反対に尾根の道を歩いた。それほど歩かないうちに、金髪を人形のようにカットした女性が階段を上がってきた。階段は急で、はるか下まで続いていた。家の近くへ出そうなので、そこを降りた。この階段を上がるとなれば、息が切れるだろう。階段の途中に休めるようにベンチが置いてある。階段が続くかぎり降りると、駒林小学校の近くに降りた。家まで近い。面白い路を見つけた。

●ますみさんから『音楽のしっぽ』の原稿が届く。素晴らしくいいので、編集次第で読みやすくなるはず。きのうは有花さんが「仲秋の藤ノ木公園を歩く」を送ってくれた。すっきりした文章。お陰で、「花冠」1月号はいいものになりそう。

自分の「リルケと俳句と私」が、なかなか進まない。辻褄があわなくて、進まないのだ。おそらく、記憶が飛んでいるのだ。それで、思い出すために、信之著の『比較俳句論序説』(昭和55)を読み返した。その中の信之先生と1968年から2年間出した「HAIKU SPOTLIGHT」に掲載した人の名前をリストアップした。すっかり名前を忘れていたが、リストアップするうちに思い出した。

10月31日(木)

晴れ
リルケの詩からのインスピレーションによる二句
  「古い家で」から
緑青のドームわが眼に霧のなか  正子
  「小さい地区」から
切妻の屋根の切り取る秋深空   正子

●今日は、昨日作った餡を食べようとして、どら焼きを作った。皮の焦げ具合からいうと虎焼きといっていい。すぐ冷めるので、冷めたどら焼きをレンジで温めると餡がもっと美味しくなった。

きのうも今日も、コーヒーではなくお茶を飲んでいる。元希に買ったオランダ船とオランダ人の絵付けの湯呑を初めて使ってみた。小ぶりで、手によくなじんで、飲むとすっとお茶が喉に落ちる。この具合がいい。なかなかいい。それでお茶を何杯も飲んでいる。ちょっと値が張っていたかもしれないと、買ったときのことを思い出した。

●9月7日から10月19日まで考えてきた、リルケと俳句のことを整理し、まとめた。「リルケと俳句と私」と題をつけた。第一部「リルケと私」とし、この部分は清書できた。読みやすようにサブタイトルをつけた。自分の文章にサブタイトルをつけたのは初めてである。納得いくものになった。
第二部へ移るのには思考転換のエネルギーがいる。第二部は「リルケと俳句」。これが本題だが、1月号には第1部だけ載せようかとも考えている。ここでひと頑張りして完成させるか。延ばすと来年7月の半年先だ。

●「いずれにしても時代は乏しいーリルケの「神」」(田中謙司著/明治大学大学院紀要第24集1987)、「発見と探究の間でーリルケの講演『現代抒情詩』について」(田中謙司著/明治大学大学院紀要第25集1988)の二つをネットで見付けて、印刷し、読んだ。

二つの論文を読んで、私が知りたいのは、リルケの世界観とか、人間観とかではないのだろうと思った。それは私の関心ではない。リルケの感性、視点、見方、表現のあり方、あるいはどこまで内面を掘り下げられたか、に関心があるのだろう。自分でもよくわからないが。リルケが「格となる言葉だけで作った詩」と言っていることにも注目している。

●ヨーロッパでは『なんのための詩人か』という問いがよく問われる。これはヘルダーリンの詩句を引用してハイディガーが言及していることで、詩人の存在意義についての深い問いかけである。ヨーロッパでは、伝統的に、詩人には神と人間との仲介者としての役割がある。だから、詩人の悶絶するような苦悩の話をよく耳にする。そして、詩人の社会的な認知が高いも確かだ。日本で本当の意味で、詩人の社会的認知が高まればいいと思っている。社会的認知を、社会的人気と混同している日本の現状は憂慮される。ヨーロッパでは、文学や芸術に対して目が非常に厳しい。ローザンヌのバレエコンペティションでは一見モダンな振り付けに対して、「バーの踊り子のような真似をさせてはいけません」と手厳しかった。

■11月月例ネット句会ご案内■

■11月月例ネット句会ご案内■
①投句:当季雑詠3句
11月4日(月)午前6時~11月10日(日)午後5時
②投句は、下の<コメント欄>にお書き込みください。
※どなたでも投句が許されます。

▼互選・入賞・伝言
①互選期間:11月10日(日)午後6時~午後10時
②入賞発表:11月11日(月)正午
③伝言・お礼等の投稿は、11月11日(月)正午~
                     11月14日(木)午後6時
○句会主宰:高橋正子
○句会管理:髙橋句美子・西村友宏

10月30日(水)

雨のち晴れ

●ネット短信No425.を出す。1月号(No.372)の雑詠投句と、散文原稿の依頼。

●「リルケと俳句と私」の(一)部「リルケと私」を仕上げる。サブタイトルをつける。

●生協で今年とれた小豆が届いた。早速、クッカーであんこを作った。色が鮮やかなので驚いたが、新物は灰汁が少ないのかもしれない。

●五時前5丁目の丘へ散歩に。鯛ヶ崎公園では、暗くなりかけているのに、「まだ五時だよ」と言いながら野球や滑り台をしている。親もいるのだが、「帰ろう」とも誘わない。まだ、五時なので遊んでいるのだろう。日暮れが早くなったのを実感する。

10月29日(火)

曇り、昼から雨
水替うる黄菊のつんと匂うなり    正子
手折り来し野菊の花を灯の下へ    正子
●花冠の編集が少し進むが、遅々として。また、忙しさが重なりそう。
●リルケはトルストイからも影響を受けている。彼がモスクワでトルストイに会ったのは、リルケが24歳、トルストイが71歳のときである。何歳のトルストイに会ったのか知りたかった。そのために図書館から『トルストイ』を借りた。
トルストイの最期が気の毒。トルストイは82歳の10月27日に、モスクワは寒いであろうに、医者と女性秘書を連れて家出をし、数日後に駅で倒れ、そして11月7日に亡くなっている。家出の原因は妻が自分の部屋を夜中に家探ししたことによるらしいが、この妻はいろんな不安から、よく日記を盗み見していたようだ。不信というものは怖い。やりきれない感じがする。
●スイートピーの種を蒔いた。朝顔を植えていたプランターに、苦土石灰が主な成分の「土をよみがえらせる土」というのを混ぜ、三粒ずつ蒔いた。種袋を振った時には、あまり入っていない感じだったが、30粒ほど入っていた。スイートピーはひ弱そうで、茎は強い。切り花にできる。そこがいい。

●散歩に出た。二丁目の丘を歩くつもりで、金蔵寺の西側から坂道を上り、無患子(むくろじ=追羽根の羽についている黒い実は無患子の実)の木があるのを確かめ、普通部のテニスコートに出た。テニスコートは人工芝なのだが、すっかり土が混じり、本当の芝生のようになっている。となりが普通部のグランド。グランドには草が生え、踏みしだかれて荒れている。グランドの端には銀杏が立ち並んでいるので、のぞき込むとたくさん銀杏が落ちている。良く太った銀杏だが、誰も拾わないだろう。先へ行こうとすると、雨がぱらぱらした。傘を持ってでなかったので、すぐに引き返し、金蔵寺の西側の登り口に戻った。金蔵寺に行こうと道を曲がると山裾に野菊がへばりつくように咲いていた。指を差しいれると、茎が細い。数本摘み取って持ち帰って活けた。仏壇と、玄関と、食卓。

10月28日(月)

雨のち曇り
りりと虫音風の間に間に鈴かとも   正子
秋の夜切手に草を飛ぶうさぎ     正子
一灯に足りてひとりの秋の宿     正子
●今日から、花冠の編集に本腰を入れなければいけない。
●晃さんからの手紙、首を長くして待ったが、今日届いた。松山から5日かかっている。不器男記念館の館長さんからの手紙は、心打つものだった。さすが不器男の俳句を守る人たちだと思った。晃さんが指導する教職員の俳句交換会の冊子が8月号から小型で可愛くなっている。どこにでも持ち運べる良さがある。
信之先生の句と、それに私の句も取り上げてくださっている。気恥ずかしいが、皆さんのお役に立てればいいと思う。
●子どもころ読んだ「イワンの馬鹿」は強く印象に残っている。そしてのちに、この作者がトルストイだと知り、文豪がなぜ童話を書いたか不思議だった。ロシア民話の本もある。今日、『トルストイ』(八島雅彦著/清水書院)を読むと、彼は領主として農奴の教育のために学校を開いたり、『アーズブカ(あいうえお)』などの教科書を作り、自分でも教えている。領主として農奴のためにと考えてすることが、ちぐはぐしてしまう。ここにトルストイの悩みが生じている。農奴制度からの解放の歴史が昔、私が読んだロシア文学の主なところだった感じがする。チェーホフなどは日本の農村の場面を思い起こさせたが、20世紀のロシア文学に、ほどんと触れてこなかったことを思った。