晴れ
朝曇りのちに晴れたる寒の入 正子
●夕方句美子の家へ。焼き魚の注文を受けているので、近所の店に行くが、焼き魚にできるものがない。七草まで漁には出ないという。せっかくの注文なので、電車に乗って都筑阪急まで出かけた。夕ご飯のおかずに釣りに出かけるようなもの。阪急にも魚の種類も数も少なかったが、鰺にした。鰺の塩焼きに合わせて、年末届いた大根と鶏ももの煮物。春菊としめじのポン酢和えなども持って行く。これは評判がいい。大根と鶏ももの照り煮風の煮物はご飯が進む味になった。
●句美子が誕生日祝いに『パット見わけ 観察を楽しむ 野鳥図鑑』(ナツメ社2022年5刷)をプレゼントしてくれた。今まで買ったものより、数段詳しいが、煩雑な感じではなくよくわかる。
「ユリカモメ」と「ミヤコドリ」の項目を見る。この二つは同じ鳥だと思っていたが、別の鳥だった。実は、別の鳥でもあるし、同じ鳥でもあるのだ。伊勢物語に出て来る都鳥は、ユリカモメを指すとのこと。ここから、ユリカモメは都鳥のこととなる。文学上でないミヤコドリとユリカモメは別の鳥。ミヤコドリは黒い羽の部分があって、嘴も脚もあかい。その姿は、「都鳥」の名からして、黒の束帯姿を彷彿させる。
曇りのち晴れ
玄関に来るたび水仙よく匂い 正子
咲く花を日ごとに増やし和水仙 正子
すっぱりと大根半分に切られ 正子
●1月月例ネット句会の案内を「月例ネット句会」と「自由な投句箱」に貼り付ける。今月は第2日曜日が12日になる。
●午前は「モーツァルトのピアノソナタ全集」をクラウディオ・アラウで聞いた。1973年から1987年録音のもののようだ。冬の日にモーツァルトをピアノソロで聞くのは、特別にいいと思えた。ソロだからいい。夜は、アラウで、「ヴァルトシュタイン」を聞いた。そのあとモーツァルトのピアノコンチェルト20番をゼールキンのピアノとセルの指揮で聞いた。とにかくよかった。
●午後、元が年始に来て、お参り。4日にもなると、正月の料理は数の子と田作りと黒豆が残っている程度。好物の数の子と田作りに箸をつけていた。子供の時から好物は変わっていない。きのう作ったプリンを出すと、当たり前のように食べていた。
そのあと、本の整理をしてくれる。パソコンの本はほとんど処分。地図と辞書も同じようなものを処分。広辞苑、英和、和英、独和、和独、古語辞典、漢和辞典、国語辞典など。「いる?いらない?」と急かすが、捨てる判断がなかなかできない。
瀬戸内レモンのハニーシロップを持ち帰らせる。元希にはリンド―ルのチョコと岩塩のポテトチップスが土産。犬のアルルは自分の足を噛む癖があって、ゴムの靴下をはかせているが、化膿して病院に連れて行ったとか。元が帰ったあと気づいたのだが、アルルは足がかゆいので噛んでいるのではないかと思う。それともなんらかのストレスか。
くもり
水仙の匂えば踏み入りがたき庭 正子
水仙の香を吸いこむことが息 正子
活けられて匂い鋭き水仙花 正子
●誕生日。『わが祝いのために』「ベートーベンのスプリング・ソナタ」と「モーツァルトピアノソナタ全集」(ピアノ:クララ・ヴュルツ)を聞いた。今朝届いた年賀状の一枚に文学的な香りのするものがあった。これをもって今日の「わが祝い」としようと思った。
『わが祝いのために』はリルケが24歳の時の第6詩集で、「最初の、真摯な、厳粛な詩集」とゲオルゲに手紙に述べて知られるリルケの詩集。
●元が明日来る予定を今日の午後に変え、また明日の午後に来るように変えたので、用意していた料理などをこれも「わが祝いのために」変更して夕飯を済ませた。「わが祝いのために」はリルケの詩集の名前であるが、今日は私の誕生日であるので余所行きの名前を借りた。
●頂いた年賀状を仏前に供えた。夫が自分の死後、誰が妻に気を付けてくれているかよくわかるように。
晴れ
●朝、「自由な投句箱」を開こうとすると開けない。ネットの接続を調べたり、パソコンを再起動したりしたが、問題はない。gooブログと、gooメールがDDos攻撃に遭っていることが共同通信の記事で知った。このことを騒ぐと犯人は喜ぶだろうから、静かにすべきだろうが、原因は公開すべきと思う。自由な投句箱の利用者にはgooブログが開かないことを電話で連絡。夜中近くになって使えるようになった。
●本を読むには落ち着かない。去年の手紙の整理。大切な手紙を入れるケースを買った方がよさそうだ。あすダイソーで探そう。
●子どもたちには大事な時なので、それぞれの家で正月を静かに過ごすように言っているので、誰も来ない。年賀状も今日は配達がないので、静かなものだ。一日音楽を聞きながら、編み物をした。クッカーで餡を炊いておいた。1日には句美子の家へはお節を持って行って会っている。元は土曜日に覗くと電話してきた。
あけまして おめでとうございます。
ご愛読ありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2025年 元旦
髙橋正子
晴れ
元日の車窓に大きく日差うけ 正子
かろやかに風に乗りたる子等の凧 正子
鉄橋を渡るぞ凧がひらひらと 正子
●お節は昨日ほとんど作ったので、今朝は海老の酒塩焼きだけ作った。今年はお節を簡略にした。昼前お節をもって句美子の家を訪ねる。何が一番おいしいかと聞くと、海老だという。その次に田作り、椎茸の煮たの。行きの電車は目不動に初詣に行くらしい人たちや、これから旅行に出かける旅行姿の人たちがいた。乗客が少ないので、車窓から、明るくのどかな日差しがたっぷり注ぎ、日の暖かさ体にが伝わる。句美子のところには小一時間ほどいて帰った。帰りに多摩川を渡るとき、凧揚げの子どもたちが大勢いた。鳥ような凧もいて、ひらひら飛んでいるが、あるところから高くは上がらない。
●帰るとポストに年賀状が20枚ほどあった。ラインのスタンプの年賀状ももらっている。年賀状は出したい人だけに出すので、こちらからも少々差し出した。
●夕方から眠くて仕方がない。はっと今日はウィーンフィルのニューイヤーコンサートの中継があるのを思い出した。眠いと言っているどころではない。午後7時15分から中継。今回はイタリア人のムーティの指揮。彼は歌うような指揮をするのだとか。飾られた花々がすばらしい。ウィーンの花屋だけでは足りないだろうと思える。バラとラナンキュラスがメインに見える。聴衆のなかに日本人らしい人を見つけたり、音楽以外にも魅力がある。二曲目のウィーンの燕を歌った曲と、「入江のワルツ」がいい感じだった。終わりの「美しき青きドナウ」は耳を澄まさなければ聞き取れないほど静寂の内に始まった。
●新しく年が始まるのに、普通の日と変わらずに終わった。昨日近所の奥さんが切ってくれた水仙がますますよく匂っている。
晴れ
剪りくれし水仙の白にまじりなし 正子
水仙のしずけき奥に年移る 正子
水仙の二花の白さに年あらた 正子
●月例ネット句会の賞品が届いたと連絡がある。電話、メール、発行所ブログのコメント欄への書き込みなどがあって、ほぼ全員に届いていると思われる。
●お節を作る。八つ頭を剥いて手頸までかゆくなって慌てた。里芋でかぶれるのだから、八つ頭でもかぶれるのは当然なのだが、すっかり油断していた。この八つ頭は22日の寿餅会のときに境内の野菜の即売会で買ったのを保存していた。すこし色が変わったところもあったが、そこを大きく切り取れば大丈夫で、ホクホクに煮えた。おいしい。
●スーパーから帰る途中、近所の奥さんが庭で鋏を使っているところに出会った。今日は暖かいので、「剪定ですか」と聞くと、「お花が高いから水仙を切って活けようと思って」と言って、切りかけの水仙に少し足して一握りにしてくれた。ようやく花が咲きかけたところで、花は二つ咲いている。花がみずみずしい。帰って仏前に供え、残りは玄関に活けた。ようやく咲きかけた大晦日の水仙は貴重な花。何のお礼をしようかと思っている。
今年がいよいよ終わる日に水仙をもらったのが、最高にうれしかった。まさか、それほど親しく思ってもらっているとは、想像もしなかったから。これらの二重の意味でうれしかった。俳句葉書とコーヒーを喜んでくれる人が、例えば20人のうちにひとりいたとしたら、それは送ったことに意義がある。みんなに意義があることは、ほとんでない。意義は一人にとって、意義であれば、それでいい。
晴れのち曇り
●一年の感謝を込めて、月例ネット句会の賞品を送っていたが、皆さんの手元に届いた連絡が入る。郵便事情で、遠いところも近いところも今日届くようになっている。
●正月のお供のお菓子、何がいいのだろう。今日街に行くと源吉兆に年賀のお菓子を売っていた。2種類詰め合わせて絵馬が蓋になっている。おめでたい感じなのでそれを買った。仏具をきれいにして、葉牡丹、菊とカーネーションなどを立てて、お餅、お菓子と果物を供えた。仏壇は正月を迎える準備ができた。買って来た花に松が入っていたので、この松は玄関の花にする。明日薔薇を買ってきて松と合わせて活ける。
●昨日から炊いていた丹波の黒豆が柔らかく煮えた。明日、お節を作る。あかぎれが少し治ったので楽になった。11月に帰省した時に持ち帰った残り毛糸で、普段使いの自分のマフラーを編んでいる。中細毛糸なのでなかなか編み進まないが、厚さとしてはちょうどいい。年末は頭を空にしたい。
晴れ
年暮るるみどりの菜飯の塩加減 正子
●今年最後の日曜日。今日餃子を食べたい人から作ってくれるように注文があったので、100個作る。冷凍庫に豚ミンチ500g、冷蔵庫にキャベツ半切りが2個ある。買うのはニラ二把、皮100枚なので、お安い御用。スープは中華スープではなく、ポトフ風の蕪とブロッコリー、人参、ソーセージのスープ。ご飯は菜飯。蕪の葉を茹で、塩と白ごまで。一番おいしかったのは菜飯。餃子を取りに来た人に少し味見に装うとお変わりが欲しそうなので、一膳よそおう。これほど素朴なものが美味しいのは塩と白いご飯と菜っ葉の見た目の緑としゃきっとした歯ごたえ。塩は、尾道の向島の瀬戸内海の海水の天日粉砕塩「シェフの塩」(奥谷茂雄作)。
●掃除の休憩に椅子に座ったまま置いてある一番上の本に手を伸ばしたら『ドゥイノの悲歌』だった。偶然開いたところが「第九歌」。唸ってしまった。一生に一度の大発見をした感じだ。だれがリルケを難しいと言ったのだ。これほどわかるところはないのに、と思いながら、リルケ受容のありかたに別な方向があるのではないかと。年も押し詰まってなんということか。
晴れのち曇り
門松の松黒々とデパートに 正子
鳩サブレを買う行列の着ぶくれて 正子
注連飾り離れて見ては良しとする 正子
●高齢の広島の叔母から信之先生へのお供が届いたので、鎌倉のお菓子と花冠1月号などを送った。つぎつぎすることが出て来る。
●今日10時ごろ日吉の東急に行ったら、立派な門松が立っていた。こんな立派な門松はこれまで見たことがない。帰ってわが家にも玄関に注連飾りをつけた。年末の家事はあるが、あかぎれで指が痛いので、あす炊く黒豆の準備だけした。そのあと鍋つかみと、小さい袋を縫った。鍋つかみは自分で綿を挟んでキルティングして、バイヤステープで縁をくるみ、袋は20センチのファスナーを付け、裏地を付けて出来上がり。すぐにて来たので,俳句葉書の残りに筆で句を書いて練習。書くけれど上達するわけではない。線がダメなのだ。線が決まらない。気の弱さが露呈している。