9月17日(月)

★たっぷりと雲湧く台風過ぎしより  正子
台風が過ぎれば空気が入れ替わり、空は青く澄んで、晴れ渡ります。一方、台風がもたらした風雨により、大量の雨水が山野も覆って、やがて雲となり、空へと還ってゆきます。雲湧く様や、風の流れも感じられて、爽やかな心地をいただきました。(津本けい)

○今日の俳句
草に落つ青どんぐりの音軽き/津本けい 
風で落ちる青どんぐりであろうか。落ちるときに、草に軽く音を立てる。「軽い音」がよい。秋が深まれば「コツッという確かな音に変わる。(高橋正子)

●晴れ。30度の暑さ。
今朝方、ラジオ深夜便で「にっぽんの音」で「虫の音」を放送していた。「鳴く虫を守る会?」の会長さんが、鈴虫、松虫、邯鄲が3つ美しい音色だと。そして、最後の締めくくりで、「最近都会の中にも鈴虫がよく鳴いている、という人が増えた。これは間違いで、鈴虫ではなく、外来種の「青松虫」で木の上で鳴く。」と話された。これで、横浜に引っ越して来てからの不思議だと思っていたことが解決した。夕方住宅地を歩くと、木の上から蟋蟀が鳴いているように聞こえる。いくらよく聞いても草のなかではなく、木の上からだ。いままで「変な蟋蟀」として聞いていたのは、「青松虫」だったのた。これは好きにはなれない。虫は草に聞けではないだろうか。

草引かれ露の土となりいたり     正子
秋日和影濃く生まる濯ぎもの     正子
敬老の日と決め今日の秋日和     正子

◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)

9月16日(土)

★青林檎ときに稲妻差しきたる  正子
酸味の残る青林檎の味、香り、ときおり遠くに細く走る稲光。まだ本当の稔りの秋にはなりきらない不安定な季節の、しかし瑞々しい情感に満ちた心象風景を思います。(小西 宏)

○今日の俳句
とんぼうの列なして行く空かろし/小西 宏
とんぼうが列を作って飛んでゆく楽しい空となった。すいすいと飛んでゆくとんぼうに空まで軽くなった感じだ。(高橋正子)

●曇り。
昨日、俳句四季10月号が届く。これに「花冠創立35周年」の記事が載る。40冊注文。連休中なので、数日かかるかも。届いたら、会員に勝手に送るつもり。

元希の幼稚園から、敬老の日のプレゼントとして、元希の絵が届く。きれいな色と形にびっくり。幼稚園が造形指導をしているのだろうが、絵本作家のような絵。何日かかけて描いた感じだ。

何年かぶりに信之先生用にブラウンの電気カミソリを買う。
一鉢ある朝顔が今朝は小さい花が10個以上咲いた。錆朱色だが、結構いい。

○毬栗(いがぐり)

[毬栗/横浜市緑区北八朔町]

★落栗やなにかと言へばすぐ谺/芝不器男
栗の木があるところは、山静かな里。落ちた栗も拾われずに転がっている。ちょっとした言葉も響いて谺となる。自分の発した声の谺は、もっとも自分の心がよく受け止めているのではないか。(高橋正子)

★毬栗に袋かぶせてありにけり/高橋将夫
★毬栗や身籠りし山羊つながるる/大串章
★毬栗や祖母に優しく叱られし/大串章
★毬栗を蹴つて日暮れの村となる/小澤克己
★毬栗の落ちてすとんと暗くなる/杉浦典子
★毬栗のやや枯れてゐる掌/田畑幸子
★毬栗を剥くに大事や鎌と足/田中英子
★毬栗の青々としてまん丸し/高橋正子

 クリ(日本栗・学名Castanea crenata)とはブナ科クリ属の木の一種。日本と朝鮮半島南部原産。中華人民共和国東部と台湾でも栽培されている。クリのうち、各栽培品種の原種で山野に自生するものは、シバグリ(柴栗)またはヤマグリ(山栗)と呼ばれる、栽培品種はシバグリに比べて果実が大粒である。また、シバグリもごく一部では栽培される。落葉性高木で、高さ17m、幹の直径は80cm、あるいはそれ以上になる。樹皮は灰色で厚く、縦に深い裂け目を生じる。葉は長楕円形か長楕円状披針形、やや薄くてぱりぱりしている。表はつやがあり、裏はやや色が薄い。周囲には鋭く突き出した小さな鋸歯が並ぶ。雌雄異花で、いずれも5月から6月に開花する。雄花は穂状で斜めに立ち上がり、全体にクリーム色を帯びた白で、個々の花は小さいものの目を引く。一般に雌花は3個の子房を含み、受精した子房のみが肥大して果実となり、不受精のものはしいなとなる。9月から10月頃に実が成熟すると自然にいがのある殻斗が裂開して中から堅い果実(堅果であり種子ではない)が1 – 3個ずつ現れる。
 果実は単にクリ(栗)、またはクリノミ(栗の実)と呼ばれ、普通は他のブナ科植物の果実であるドングリとは区別される(但し、ブナ科植物の果実の総称はドングリであり、広義にはドングリに含まれるとも言える)。また、毬状の殻斗に包まれていることからこの状態が毬果と呼ばれることもあるが、中にあるクリノミ自体が種子ではなく果実であるため誤りである。毬果とは、松かさのようなマツ綱植物の果実を指す。
 日本のクリは縄文時代人の主食であり、青森県の三内丸山遺跡から出土したクリから、縄文時代にはすでに本種が栽培されていたことがわかっている。年間平均気温10 – 14℃、最低気温氷点下20℃をくだらない地方であれば、どこでも栽培が可能で、国内においてはほぼ全都道府県でみられ、生産量は、茨城、熊本、愛媛、岐阜、埼玉の順に多い。

◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)

9月15日(土)


★萩のトンネル真上ぱらぱら空があり  正子

東京・向島百花園

○今日の俳句
薄の穂切りて野の風持ち帰る/黒谷光子
風に吹かれている野の薄の穂を切って持ち帰ると、さながら、野の風を持ち帰るようだ、という。穂芒の姿に野の風が見える。(高橋正子)

●去年の9月15日。
「俳壇」から、原稿依頼。諾の返事を出す。10月12日締め切り。写真添付とある。どんな記事だったか?

小雨。気温は正午で25度。ベランダの花を刈りこむ。撫子と句美子の父の日のプレゼントの寄せ植えが元気。

撫子の花の赤さを通り雨 正子

○◇生活する花たち「萩」(横浜日吉本町)

ご挨拶/9月月例ネット句会


ご挨拶
地震に続き台風20号、21号と続けて四国から阪神京都へと上陸し、花冠会員の方も被害を受けられました。心よりお見舞い申し上げます。そんな中にも拘わらず、月例句会にご参加いただき、ありがとうございました。遅くなりましたが、9月14日、皆様の選とコメントを貼り終えましたので、ご確認ください。入賞の皆さまおめでとうございます。初秋の風物が俳句となって現れ、つぎつぎ災害が起こる中でも、日本の良さを思いました。明日からは敬老の日もあり、3連休。そして24日は十五夜。嬉しい日もあることでしょう。気温差がある昨日今日ですので、くれぐれもご自愛ください。来月の句会を楽しみにお待ちください。来月は、10月14日(第2日曜日)です。
(高橋正子)

9月14日(金)

★葛の花匂わすほどの風が起き  正子
葛の花は秋の七草の一つで、何処までも蔓が伸びゆくほど繁殖力が旺盛です。葉が大きく茂り、葉裏には紅紫の可愛い花を咲かせており、微かでも風が起こると葉裏の花のほのかな香りが漂いほっとこころ癒されます。(佃 康水)

○今日の俳句
韮の花浸す野川の音澄むへ/佃 康水
韮の花は新涼の季節に先駆けて咲く。摘んだ韮の花は野川に浸すと涼やかな花となる。「清ら」は主情が強いが、「澄む」は写生であっても作者の深い内面が出る。(高橋正子)

●曇り。夜雨が降ったようだ。
去年の9月14日は、<「毎日俳句αあるふぁ」の15日締め切りの「水」の原稿を送った。>
花冠は有名にはならないが、ありがたいことに、ほそぼそ途切れることなく、メディアが取り扱ってくれる。もうすぐ、「俳句四季」10月号が20日にでる。これには、花冠創立35周年の記事が載る。

栗の実を茹で入院の日を待てり 正子
年老えば葡萄ひと粒珠となす  正子
秋水を瓶に満たして雨の花   正子

○唐辛子

[唐辛子/横浜日吉本町]

★唐辛子男児(おのこご)の傷結ひて放つ 草田男
男の児は、手足に傷などよく負うものだ。 膝でも擦りむいたのだろうか、包帯をして、また遊びに行かせた。唐辛子が熟れるころは、「天高し」ころ。気候もよく、男児はことに日暮れ際までよく遊ぶ。ぴりっとした唐辛子の可愛さは、また男児の元気な可愛さに通じる。(高橋正子)

★青くても有べき物を唐辛子 芭蕉
★鬼灯を妻にもちてや唐がらし 也有
★うつくしや野分のあとのとうがらし 蕪村
★寒いぞよ軒の蜩唐がらし 一茶
★雨風にますます赤し唐辛子 子規
★赤き物少しは参れ蕃椒 漱石
★一莚唐辛子干す戸口かな 碧梧桐
★辛辣の質にて好む唐辛子 虚子
★誰も来ないとうがらし赤うなる 山頭火
★唐がらし熟れにぞ熟れし畠かな 蛇笏
★秋晴れやむらさきしたる唐辛子 夜半
★戸袋の筋にかけあり唐辛 石鼎
★庭園に不向きな赤い唐辛子 鷹女
★唐辛子干して道塞く飛鳥びと 秋櫻子
★秋の日の弱りし壁に唐辛子 みどり女
★炎ゆる間がいのち女と唐辛子 鷹女
★てのひらに時は過ぎゆく唐辛子 不死男
★唐辛子わすれてゐたるひとつかな 楸邨

熟れた唐辛子は可愛い。店で唐辛子の実を束ねて売っているので、それを買い、しばらく台所に飾って楽しんでそれから使う。信之先生は、うどんには、七味唐辛子でなく、この赤い唐辛子を細く輪切りにしたのを入れるのが習慣だ。きんぴらには、辛いというくらい入れたい。すでに輪切りにした唐辛子を売っているが、それではなく、丸のままのを買って、鋏で丹念に切る。
農家には、どこの家の畑の隅に唐辛子を植えていた。熟れると茎ごと抜いて束ね。家の軒下など日陰に吊るして乾燥させた。沢山採れる家は、筵に広げて乾燥させたのだろうが、これは、見たことがない。父も、うどんにはこの唐辛子をたっぷりと入れて食べていた。七味ではない。
唐辛子のなかでも辛くない唐辛子がある。ピーマンも、ししとうも唐辛子の仲間である。父がまだ中年のころ、辛くない唐辛子といって、近所でははじめてピーマンを植えた。子どもにも食べれた。刻んで、油炒めで醤油の味付けだったと思う。唐辛子が食べれたと子どもながら自慢であった。そのせいか、いまでもシシトウや甘唐辛子が沢山手に入ると、油炒めで醤油、鰹節で佃煮のようにして食べる。これが、我が家では、娘にも人気でご飯がすすむ。

唐辛子のことで思い出したが、長野の小諸で花冠(水煙)大会をしたとき、伊那の河野斎さんが来られ、善光寺の名物の七味唐辛子をいただいた。そのとき、善光寺名物が七味唐辛子であることを知ったが、いい香りの七味唐辛子であった。河野さんは、伊那で歯科医院を営んでおられたが、偶然にも、三男のお嫁さんが、私の郷里の福山のご出身と聞いた。縁は異なもの不思議なもの、です。河野さんは急逝されたが、ご家族に林檎の木を残されて、その年の林檎の収穫のおすそわけをいただいた。お孫さんたちが俳句を作って花冠(水煙)に投句されていたので、お孫さんと、そのお母さんのお気持ちだと知った。唐辛子からひょんなところに話がずれたが、思い出したので、書き留めておいた。

★唐辛子真っ赤に熟れしをキッチンに/高橋正子
★唐辛子もう日暮だと子を呼びに/〃

 唐辛子(とうがらし、唐芥子、蕃椒)は、中南米を原産とする、ナス科トウガラシ属 (Capsicum) の果実から得られる辛味のある香辛料。栽培種だけでなく、野生種から作られることもある。トウガラシ属の代表的な種であるトウガラシにはさまざまな品種があり、ピーマン、シシトウガラシ(シシトウ)、パプリカなど辛味がないかほとんどない甘味種(甘唐辛子・あまとうがらし)も含まれる。トウガラシ属は中南米が原産地であり、メキシコでの歴史は紀元前6000年に遡るほど非常に古い。しかし、世界各国へ広がるのは15世紀になってからである。
 唐辛子が日本へ伝わったのは、16世紀後半のことで、南蛮船が運んで来たと言う説から南蛮胡椒、略して南蛮または胡椒とも言う。コロンブスは、唐辛子を胡椒と勘違いしたままだったので、これが後々まで、世界中で唐辛子(red pepper)と胡椒(pepper)の名称を混乱させる要因となった。現在世界中の国で多く使われているが、アメリカ大陸以外においては歴史的に新しい物である。クリストファー・コロンブスが1493年にスペインへ最初の唐辛子を持ち帰ったが忘れられ、ブラジルで再発見をしたポルトガル人によって伝播され、各地の食文化に大きな影響を与えた。ヨーロッパでは、純輸入品の胡椒に代わる自給可能な香辛料として南欧を中心に広まった。16世紀にはインドにも伝来し、様々な料理に香辛料として用いられるようになった。バルカン半島周辺やハンガリーには、オスマン帝国を経由して16世紀に伝播した。
 日本で栽培されているのは主にトウガラシだが、沖縄や伊豆諸島ではキダチトウガラシの品種の島唐辛子が栽培されている。トウガラシ属が自生している南米では、ウルピカなどの野生種も香辛料として使われる。「唐辛子」の漢字は、「唐から伝わった辛子」の意味であるが、歴史的に、この「唐」は漠然と「外国」を指す語とされる。英語では「チリ(chili)」または「チリ・ペッパー (chili pepper)」と言う。胡椒とは関係が無いにも関わらず「ペッパー」と呼ばれている理由は、ヨーロッパに唐辛子を伝来させたクリストファー・コロンブスがインドと勘違いしてアメリカ大陸に到達した際、唐辛子をインドで栽培されている胡椒の一種と見なしたためである。それ以来、トウガラシ属の実は全て「ペッパー」と呼ばれるようになった。沖縄県では島唐辛子や、それを用いた調味料をコーレーグス(コーレーグース)と呼ぶが、これは高麗胡椒の沖縄方言読みとも、「高麗薬(コーレーグスイ)」が訛ったものだともされる。唐辛子の総称として鷹の爪を使う者もいるが、「鷹の爪」はトウガラシ種の1品種である。

◇生活する花たち「女郎花・葛の花・萩」(四季の森公園)

9月13日(木)

  尾瀬
★山小屋の湯にいて秋の笹の音  正子
山小屋の湯に浸り、旅の疲れを癒す、心身ともに安らぐひととき。その快さの中で聞く笹の葉擦れの音に、いっそう澄んだ秋の夜が感じられ、尾瀬の秋に身を置く作者の喜びが伝わってまいります。(藤田洋子)


「サワギキョウ」(尾瀬ヶ原)

サワギキョウ(沢桔梗、学名: Lobelia sessilifolia )はキキョウ科ミゾカクシ属の多年草。美しい山野草であるが、有毒植物としても知られる。
茎の高さは50cmから100cmになり、枝分かれしない。葉は無柄で茎に互生し、形は披針形で、縁は細かい鋸歯状になる。
花期は8月から9月頃で、濃紫色の深く5裂した唇形の花を茎の上部に総状に咲かせる。花びらは上下2唇に分かれ、上唇は鳥の翼のように2裂し、下唇は3裂する。萼は鐘状で先は5裂する。キキョウと同じく雄性先熟で、雄しべから花粉を出している雄花期と、その後に雌しべの柱頭が出てくる雌花期がある。
北海道、本州、四国、九州に分布し、山地の湿った草地や湿原などに自生する。普通、群生する。

○今日の俳句
窓越しの鳴き澄む虫と夜を分つ/藤田洋子
「夜を分かつ」によって、窓の外の虫音と内とが繋がって、しっとりと落ち着いた虫の夜となっている。「鳴き澄む」虫の声が透徹している。(高橋正子)

●自由な投句箱のコメント6日分をし終える。問題句が1句でもあると、溜まる。俳句は創作であり、詩であるから、文法的な問題をどうするか、難しい。作る方は特に考えないで作っているのかもしれないが。
【思うが】俳句の句境(心境)の段階を問題にする人は、総合俳誌では、いないように思う。日本の伝統芸能の「能」では完全にそうではないか。

『ゲゲゲの女房』、病院の本棚にあり、待ち時間に数べージ読みかけた。面白そう。

○数珠玉

[数珠玉/横浜・四季の森公園]

★数珠玉や歩いて行けば日暮あり/森澄雄
★数珠玉や家のまはりに水消えて/岸田稚魚
★じゅず玉は今も星色農馬絶ゆ/北原志満子
★数珠玉や流れの速き濁り川/天野美登里
★数珠玉の数珠の数個をポケットに/山内四郎
★数珠玉よ川にも空が映るなり/高橋正子
★数珠玉を採ってしばらく手のうちに/〃

 ジュズダマ(数珠玉、Coix lacryma-jobi)は、水辺に生育する大型のイネ科植物である。インドなどの熱帯アジア原産で、日本へは古い時代に入ったものと思われる。一年草で、背丈は1m程になる。根元で枝分かれした多数の茎が束になり、茎の先の方まで葉をつける。葉は幅が広い線形で、トウモロコシなどに似ている。花は茎の先の方の葉の付け根にそれぞれ多数つく。葉鞘から顔を出した花茎の先端に丸い雌花がつき、その先から雄花の束がのびる。雌花は熟すると、表面が非常に固くなり、黒くなって表面につやがある。熟した実は、根元から外れてそのまま落ちる。なお、ハトムギ(C. lacryma-jobi var. ma-yuen)は本種の栽培種である。全体がやや大柄であること、花序が垂れ下がること、実がそれほど固くならないことが相違点である。
 脱落した実は、乾燥させれば長くその色と形を保つので、数珠を作るのに使われたことがある。中心に花軸が通る穴が空いているので、糸を通すのも簡単である。実際に仏事に用いる数珠として使われることはまずないが、子供のおもちゃのように扱われることは多い。古来より「じゅずだま」のほか「つしだま」とも呼ばれ、花環同様にネックレスや腕輪など簡易の装飾品として庶民の女の子の遊びの一環で作られてきた。秋から冬にかけて、水辺での自然観察や、子供の野外活動では、特に女の子に喜ばれる。
 イネ科植物の花は、花序が短縮して重なり合った鱗片の間に花が収まる小穂という形になる。その構造はイネ科に含まれる属によって様々であり、同じような鱗片の列に同型の花が入るような単純なものから、花数が減少したり、花が退化して鱗片だけが残ったり、まれに雄花と雌花が分化したりと多様なものがあるが、ジュズダマの花序は、中でも特に変わったもののひとつである。まず、穂の先端に雄花、基部に雌花があるが、このように雄花と雌花に分化するのは、イネ科では例が少ない。細かいところを見ると、さらに興味深い特徴がある。実は、先に“実”と標記したものは、正しくは果実ではない。黒くてつやのある楕円形のものの表面は、実は苞葉の鞘が変化したものである。つまり、花序の基部についた雌花(雌小穂)をその基部にある苞葉の鞘が包むようになり、さらにそれが硬化したものである。この苞葉鞘の先端には穴が開いており、雌花から伸び出したひも状の柱頭がそこから顔を出す。雌花は受粉して果実になると、苞葉鞘の内で成熟し、苞葉鞘ごと脱落する。一般にイネ科の果実は鱗片に包まれて脱落するが、ジュズダマの場合、鱗片に包まれた果実が、さらに苞葉鞘に包まれて脱落するわけである。実際にはこの苞葉鞘の中には1個の雌小穂のほかに、2つの棒状のものが含まれ、苞葉鞘の口からはそれら2つが頭を覗かせている。これらは退化して花をつけなくなった小穂である。したがって、包葉鞘の中には、花をつける小穂(登実小穂)1つと、その両側にある不実の小穂2つが包まれていることになる。これら雌小穂と不実の小穂の間から伸びた花軸の先には、偏平な小判型の雄小穂が数個つく。1つの雄小穂にはそれぞれに2つの花を含む。開花時には鱗片のすき間が開いて、黄色い葯が垂れ下がる。

◇生活する花たち「露草・なんばんぎせる・玉珊瑚(たまさんご)」(東京白金台・自然教育園)

9月12日(水)

  尾瀬
★山小屋の湯にいて秋の笹の音  正子
山小屋でお湯につかっておられると、戸外で笹が擦れ合う音が聞こえてきました。山小屋の秋の夜の静かさ、清澄な空気が伝わってきます。 (多田有花)

○今日の俳句
傷に刃を当て傷物の梨をむく/多田有花
傷物の梨を剥こうとすれば、まず傷をとってからが普通の行為だが、「傷に刃を当て」と言われると神経がピリッとする。リアルな句だ。(高橋正子)

○瓢箪

[瓢箪/東京・向島百花園]          [瓢箪/横浜市緑区北八朔町]

★ありやうにすはりて青き瓢かな 涼菟
★花や葉に恥しいほど長瓢 千代女
★人の世に尻を居へたるふくべ哉 蕪村
★ひとりはえてひとつなりたる瓢かな 几董
★老たりな瓢と我影法師 一茶
★取付て松にも一つふくべかな 子規
★風ふけば糸瓜をなぐるふくべ哉 漱石
★吐せども酒まだ濁る瓢かな 碧梧桐
★露の蟻瓢の肩をのぼりけり 青畝
★あをあをとかたちきびしき瓢かな 蛇笏
★台風に傾くままや瓢垣 久女

私には弟がいて、男の子が喜ぶようなものとして、父が瓢箪と糸瓜を植えたことがあった。小型の瓢箪が沢山出来た。瓢箪の実から種を出さなければいけない。この種は水に瓢箪を付けて腐らせて出すのだと聞いたことがある。父がどのようにして種を抜いたか知らないが、いつの間にか、軽くなった瓢箪が家に転がっていた。おもちゃにした記憶はないが、なにかしら好ましい形で、我が家の瓢箪という感じだった。瓢箪は中にお酒を入れると艶よくなるそうである。瓢箪の好きなどこそこのご隠居さんは、お酒を含ませた布で毎日熱心に磨いているそうだと祖母が話していたこともある。最近は瓢箪集めという趣味も無くなってなっているのかもしれない、と思うと同時に、子供のころとは世の中が随分変わって来たのだと思う。昨年向島百花園に行ったときは、棚にうすみどり色のいい形の瓢箪が生っていた。

★瓢箪のさみどり色や向島/高橋正子

ヒョウタン(瓢箪、瓢?、学名:Lagenaria siceraria var. gourda)は、ウリ科の植物。葫蘆(ころ)とも呼ぶ。なお、植物のヒョウタンの実を加工して作られる容器も「ひょうたん」と呼ばれる。最古の栽培植物のひとつで、原産地のアフリカから食用や加工材料として全世界に広まったと考えられている。乾燥した種子は耐久性が強く、海水にさらされた場合なども高い発芽率を示す。日本では、『日本書紀』(仁徳天皇11年=323年)の記述の中で瓢(ひさご)としてはじめて公式文書に登場する。茨田堤を築く際、水神へ人身御供として捧げられそうになった男が、ヒョウタンを使った頓智で難を逃れたという。狭義には上下が丸く真ん中がくびれた形の品種を呼ぶが、球状から楕円形、棒状や下端の膨らんだ形など品種によってさまざまな実の形がある。かつては、実を乾かして水筒や酒の貯蔵に利用されていた(微細な穴があるために水蒸気が漏れ出し、気化熱が奪われるため中身が気温より低く保たれる)。利便性の高さからか、縁起物とされ羽柴秀吉の千成瓢箪に代表されるように多くの武将の旗印や馬印などの意匠として用いられた。瓢箪は、三つで三拍(三瓢)子揃って縁起が良い、六つで無病(六瓢)息災などといわれ、掛け軸や器、染め物などにも多く見られる。ちなみに大阪府の府章は、千成瓢箪をイメージしている。
ヒョウタンは水筒、酒器、調味料入れなどの容器に加工されることが多い。乾燥したヒョウタンは、表面に柿渋やベンガラ、ニスを塗って仕上げる。水筒や食器など、飲食関係の容器に用いる場合は、酒や番茶を内部に満たして臭みを抜く。軽くて丈夫なヒョウタンは、世界各国でさまざまな用途に用いられてきた。朝鮮半島ではヒョウタンをふたつ割りにして作った柄杓(ひしゃく)や食器を「パガチ」と呼び、庶民の間で広く用いられてきた。また、アメリカインディアンはタバコのパイプに、南米のアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルではマテ茶の茶器、またインドネシア・イリアンジャヤやパプアニューギニアなどでは先住民によってペニスケースとして使われている。ヒョウタンには大小さまざまな品種があり、長さが5センチくらいの極小千成から、2メートルを越える大長、また胴回りが1メートルを超えるジャンボひょうたんなどがある。ヒョウタンと同種のユウガオは、苦みがなく実が食用になり、干瓢の原料となる。農産物としても重要であり、近年は中国からの加工品輸入も増加している。主として生または乾物を煮て食べる。また、強壮な草勢からスイカやカボチャの台木としても利用される。

◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)

9月10日(月)

★赤とんぼいくらでもくる高さなり  正子
秋と云えば赤とんぼ。小さな存在だが、それが手の届きそうな高さに乱舞している。そこに秋たけなわの歓びを感じます。「いくらでもくる」が、作者の驚きの気持ちを含めたユニークな措辞で、印象的です。(河野啓一)

○今日の俳句
海見ゆる牧に草食む秋の馬/河野啓一
海の見える牧場。ゆったりとして草を食む馬との取り合わせに、新鮮味がある。(高橋正子)

●9月月例ネット句会。今回は、俳句αあるふぁに投稿する水の句も同時に投句。

◇生活する花たち「白むくげ・ひおうぎ・女郎花」(東京・向島百花園)

■9月月例ネット句会/入賞発表


■2018年9月月例ネット句会■
■入賞発表/2018年9月10日

【金賞】
★夕影の池に伸びたり蓮は実に/多田有花
秋の声を聞くと、ものの影に変化がみられる。夕影が伸びて、実となった蓮池に届く。どこかもの淋しさが人の心にも湧く。その微妙な移ろいを「夕影」と「蓮は実に」に?んだ。(髙橋正子)

【銀賞/2句】
★白葡萄薄き緑の平和かな/廣田洋一
白葡萄の薄い緑色は、透明感があり、芸術的とも思える気品がある。その趣を愛で、味わうことができるのも、今、平和であるからこそだ。薄き緑の白葡萄を平和の象徴とした。(高橋正子)

★川沿いに青どんぐりのころころと/髙橋句美子
川に添えば青いどんぐりがころがっている。台風で落ちたばかりであろうか。川の水の薄濁り、転がるどんぐりの青さが、目に浮かび、さわやかだ。(高橋正子)

【銅賞/3句】
★あおあおと青天の湖鵙高音/小口泰與
青天の湖と鵙の高音の取り合わせに、空の高さ、冷涼で澄んだ空気が肌で感じ取れるような句。鵙も青天があれば、どこからでも鳴くのだ。(高橋正子)

★小流れの音のさやけき田道かな/ 桑本栄太郎
小流れの音に耳を澄ます。さやかな音だ。その小流れが田道を流れ、散策する足元から、さやけさが湧くようだ。句に小流れのようなやわらかなリズムがあるのもいい。(高橋正子)

★水音の野に広がりて稲穂熟れ/柳原美知子
稲穂が熟れる。稲田に入っていた水を抜く水音か。どの田からも水音が聞こえる。熟穂と水音と、豊かな実りの秋がここにある。(高橋正子)

【高橋信之特選/7句】
★夕影の池に伸びたり蓮は実に/多田有花
初秋の夕方ともなれば、池の周囲のものの影が水面に映り、池の光景は尚更静寂となります。池の蓮も実となり、少しづつ秋の景色が深まります。(桑本栄太郎)

★川沿いに青どんぐりのころころと/髙橋句美子
風に吹かれてまだ青い小さなどんぐりが転がっていく音、澄んだ川の水音が聞こえてくるようで、爽やかな秋の訪れが感じられます。 (柳原美知子)

★台風禍会う人人と立ち話/祝恵子
台風21号は関空をはじめ関西に大きな被害をもたらしました。ご自宅周辺でも被害が出ていたのでしょう。
お互いの無事を確かめ合うひとときの立ち話です。(多田有花)
関西に甚大な被害をもたらした台風21号、お見舞い申し上げます。台風が過ぎ去り、道々に会う方とのふれあいに、あたたかく心安らぐ安堵感が伝わります。 (藤田洋子)

★猪が駆け去る台風過の山路/多田有花
有花さんは、増位山に毎日のように登られ、この日は、台風の後の山路だったが、猪が駆け去るのに出会った。猪も台風の間は、静かに様子を見ていたのかも知れない。野生の猪とのよい距離にいる、愉快さも。(高橋正子)

★あおあおと青天の湖鵙高音/小口泰與
★小流れの音のさやけき田道かな/桑本栄太郎
★白葡萄薄き緑の平和かな/廣田洋一

【高橋正子特選/7句】
★水音の野に広がりて稲穂熟れ/柳原美知子
野に流れる水音もさやかに、たわわに実った稲穂の嬉しさ。実りの秋を迎えての、清々しく広やかな光景に、季節の喜びが感じ取れます。 (藤田洋子)

★回覧板渡せば高々葉鶏頭/祝恵子
回覧板を手渡す時にふと触れた葉鶏頭。高々と生長した紅の葉が秋光に輝き鮮やかに目にうかびます。(柳原美知子)

★小流れの音のさやけき田道かな/桑本栄太郎
★夕影の池に伸びたり蓮は実に/多田有花
★今日良しと秋の花咲く萩その他/高橋信之
★白葡萄薄き緑の平和かな/廣田洋一
★川沿いに青どんぐりのころころと/髙橋句美子

【入選/句】
★今朝白露暦に記す帯祝い/藤田洋子
太陽暦の9月8日頃にあたるこの頃から秋気がようやく加わり、お嬢様でしょうか、お孫様でしょうか妊娠5ケ月目に安産を祈って岩田帯を着けるお祝いは嬉しい事ですね。おめでとう御座います。(小口泰與)
爽やかな秋の到来と新たなる命の到来。生まれ来る新しき命への祝句である。 (古田敬二)

★同じ空行ったり来たり秋の蝶/廣田洋一
夏と違い動きもゆったりと感じる秋の蝶が行ったり来たり飛ぶ光景が、爽やかな秋の空を一層引き立てます。(高橋秀之)

★吹き荒れる雨風去って見える秋/高橋成哉
台風がやっと去り、安堵して見あげた秋空が、ありがたく爽やかに思えます。(祝恵子)

★おしろいの色定まるや入日燃ゆ/小口泰與
秋の夕焼けが空を染める頃、おしろい花が静かに可憐な花を開き、薄暮に浮かび上がる美しい景が目に浮かびます。(柳原美知子)

★秋澄むや色の濃くありものの影/桑本栄太郎
秋のくっきりとしたものの影。秋の影の濃さは澄んだ空気がもたらすものですね。(多田有花)

★畦をあふれ木曽の稲田の実りかな/古田敬二
稔った黄金色の稲穂のさまがよくわかります。豊年の喜びですね。災害の多い今年であればその喜びは一層大きいでしょう。(多田有花)

★積乱雲空に広がり街覆う/髙橋成哉
街を覆うほどの積乱雲に、秋に入ってもまだまだ衰えない暑さがうかがえます。厳しい残暑にも仰ぐ空に、大きく湧く純白の雲が心広やかになれます。 (藤田洋子)

★山腹に秋灯点き初む木曽にいる/古田敬二
木曽の山々の山腹に灯が灯り始めるころ。秋の灯のなつかしさ、故郷へのあたたかな思いがある。(高橋正子)

★禅門の修行終えたり稲架の列/河野啓一
禅門の修行を終えて稲が刈られ稲架の列が並んでいる。古寺と稲のある奈良あたりの光景を思い浮かべた。(高橋正子)

★夕月を囲むがごとく鳥の群れ/ 河野啓一
夕月の周りを鳥の群れが飛んでいる。夕月の明かり、シルエットとなった鳥の群れ。日本画のような句だ。(高橋正子)

★シンガポールの夕暮れ遥か空高し/高橋秀之
シンガポールの旅。夕暮の空が遥かに、高く広がる。「空高し」の向こうに大阪の空を思ったのではないだろうか。(高橋正子)
★一杓の手水さやかに指伝う/藤田洋子
一杓の手水を使った。手水の水が指を伝うとき、さわやかな冷たさを感じだ。よいことがありそうな気持がする。(高橋正子)

★森の中晴れて輝く芒の穂/髙橋句美子
森の中は、ほの暗いだけではなく、開けたところがあって、晴れた秋空がある。芒の穂が陽を受けてかがやいている。森の中の明るい空間が、いい。(高橋正子)

★新涼の初めての道踏みしめて/柳原美知子
新涼となって、まだ通ったことのない道へと足を延ばしたのだろう。しっかりと踏みしめて、初めての道を味わうかのように歩く。爽やかな季節がうれしい。(高橋正子)

■選者詠/高橋信之
★河骨の花の黄が浮く遠く浮く
秋の水草のたたずまいが、リズムよく軽快に描かれているのが魅力です。千里万博の日本庭園でよく見かけました。 (河野啓一)

★秋空にスカイツリーの立つ街よ
高層ビルが立ち並ぶ東京都心部にあってもスカイツリーの姿はよく目立ちます。青空に伸びる銀色の姿はすっきりと爽やかです。 (多田有花)

★今日良しと秋の花咲く萩その他
秋光の溢れ爽やかな風の吹く心地よい今日、野山の草木も心地よさそうにその時を感じ秋ならではの花を精一杯咲かせているようです。(柳原美知子)

■選者詠/高橋正子
★秋日傘向島に来てさしぬ
残暑の陽射しの中にも、真夏のものとは自ずと異なる秋日傘の趣です。向島と言えば墨田川沿いの、ふと清々しい川風をも感じさせてくれる秋日傘です。 (藤田洋子)

★秋暑く生姜蜜なるかき氷
(自注)向島百花園には、生姜蜜のかき氷があって、名物らしい。

★水葵初秋の青をひとつまみ
(自注)水葵は箱根の湿生花園にあったのを初めて見たが、向島で見るのは初めて。ガイドさんに聞くと、世話をしている人が、今朝持ってきたとか。青紫のひとつまみほどの花。

■互選高点句
●最高点(7点)
★小流れの音のさやけき田道かな/桑本栄太郎

※集計は、互選句をすべて一点としています。選者特選句も加算されています。
(集計/高橋正子)
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※入選句について、意味が通りにくい句は、添削しました。
参考になさってください。