★十五夜の箱根山道踏みおりぬ 正子
ドライブウエィーでなく細い山道かと思います。十五夜の頃であれば道の両側には薄も穂を出し月光に耀いていたことでしょう。それにしましても又とない体験をされたものと思います。 (黒谷光子)
○今日の俳句
十五夜の光り差し込む青畳/黒谷光子
藺草の匂いもすがすがしい青畳に十五夜の月の光が差しむと、畳の上はきよらかな月光の世界。畳に踏む月光のすがすがしさと美しさを簡潔な句にまとめた。(高橋正子)
●曇り。台風25号沖縄に近づく。
○現の証拠(げんのしょうこ)

[げんのしょうこ/横浜・四季の森公園] [げんのしょうこ/東京・向島百花園]
★うちかヾみげんのしょうこの花を見る/高浜虚子
★山の日がげんのしょうこの花に倦む/長谷川素逝
★手にしたるげんのしょうこを萎れしめ/加藤楸邨
★草掻き分けてげんのしょうこの花がある/高橋信之
★十月のげんのしょうこは可愛ゆしと/高橋正子
げんのしょうこは、ドクダミ、センブリなどの日本の3大民間薬として用いられる。戦後の四国に居たときのことだが、げんのしょうこを近くの空地などで採取、乾燥し、煎じて飲んだ。下痢の症状に効果があって、これも60年以上も昔の懐かしい思い出なのだが、その美しい花を見た記憶がない。げんのしょうこを「可愛ゆし」と見た率直な実感がいい。(高橋信之)
げんのしょうこは、季語では夏。昨日10月5日、四季の森公園へ信之先生と行った。野外に出かけるときの服装は、家を出るとき少し薄着をして、涼しいくらい、寒いくらいで出かけるのが私の常。それに調整のきく服や手袋、マフラー、スカーフなどを持つ。それに山行きの服装を好んでいる。それ向きに繊維も新素材を使っているせいか、何年たっても痛みも少なく重宝している。
四季の森には、いろいろ珍しいものも、そうでないものも咲いていた。げんのしょうこを林縁の落葉が積む中で見つけた。草丈10センチほどで、花も8ミリほど。小さかった。もう終わりなのだ。関東には白花が多いときくが、昨日も白花であった。民間薬として下痢止めに飲まれているそうだが、私は飲んだことはない。紅色にしろ、白色にしろ、可愛い花だ。
昨日の四季の森公園は秋の花がいろいろと。吾亦紅、山とりかぶと、ノダケ、ヤブマメ、イヌショウマ、釣船草、黄釣船草、溝そば、水引草、ヒヨドリ草、彼岸花、白彼岸花、野菊(おもにはヨメナ)、葦の花、薄コスモス、キツネノマゴ(なぜマゴなのでしょう?)、アメリカセンダングサ、サンシュの実、それに林縁の縁の日陰にはきのこ類など。
マユタテアカネという緋色のしっぽの赤とんぼ、馬追いが、ロープに止まって、カメラを近づけても飛び立たない。キリギリスがよく鳴き、つくつく法師が遠くから聞こえた。野鳥、これがなにかわかないが森に2,3種鳴くのが聞こえた。幸い昨日は、四季の森のスタッフのかたにし草の名前をいろいろ聞くことができた。山とりかぶとはこの山にたくさんあるとのこと。紫式部は見つけることができなかった。カワセミの飛翔も見た。
★かわせみ飛ぶ青の速さというべくに/高橋正子
ゲンノショウコ(現の証拠 Geranium thunbergii)は、フウロソウ科の多年草。日本では北海道の草地や本州~九州の山野、また朝鮮半島、中国大陸などに自生する。生薬のひとつであり、植物名は「(胃腸に)実際に効く証拠」を意味する。玄草(げんそう)ともいう。茎は約30-40cmに伸び、葉は掌状に分かれる。紅紫色または白紫色の花は夏に開花し、花弁は5枚(紅紫花種は西日本に、白紫花種は東日本に多く見られる)。秋に種子を飛散させた後で果柄を立てた様が神輿のように見える事から、ミコシグサとも呼ばれる。近い仲間にアメリカフウロ、老鶴草などがある。
ゲンノショウコはドクダミ、センブリなどと共に、日本の民間薬の代表格である。江戸時代から民間薬として用いられるようになり、『本草綱目啓蒙』(1803年)にも取り上げられた。現代の日本薬局方にも「ゲンノショウコ」として見える。但し、伝統的な漢方方剤(漢方薬)では用いない。有効成分はタンニン。根・茎・葉・花などを干し煎じて下痢止めや胃薬とし、また茶としても飲用する。飲み過ぎても便秘を引き起こしたりせず、優秀な整腸生薬であることからイシャイラズ(医者いらず)、タチマチグサ(たちまち草)などの異名も持つ。
生活する花たち「野菊・藤袴・萩」(東京・向島百花園)

★秋の潮満ち来る波の触れあいて 正子
穏やかな秋の日に、潮波の触れ合う音が聞こえてくるようです。(祝恵子)
○今日の俳句
寄りし娘に持たす枝豆ゆでたてを/祝恵子
ゆでたてのほっくりした枝豆に母のさりげない愛情が読み取れる。立ち寄る娘のさりげなさも、自然体で美しい。(高橋正子)
●曇り。
『朝吹秀和句集』恵送のお礼を投函。
【句集感想】
第一句集の『青いサーベル』の印象が今でもとても強く残っておりますが、
その時は、朝吹さんが磯貝碧諦館氏の弟子であることをあまりに重く考えな
いで、拝読したように思います。今回の句集に収められました「論考・草田
男の詩精神継承を目指して」を拝読し、朝吹さんの句は、草田男ー碧諦館と
繋がる師系のなかで生まれたのであろうと思うと、俳句の構造に随分納得し
て鑑賞できました。高みのある御句にいつもながら姿勢を正される思いです。
二十年ぐらい前になりますけれども、上野で「ケルト美術展」が日本で初
めて開催されて、それを偶々見ました。そのケルトの印象が未だに強く自分
の内に残っていて、何かそういった印象のものに出会うと、それを思い出し
ます。勝手な読みですが、朝吹さんの俳句の何句かに、そのケルト的なもの
を感じました。
『夏の鏃』以後の句から好きな句を選ばせていただきます。
末枯やゴッホの燃やす日の沈む
「末枯」と「日の沈む」のもつイメージにゴッホの色やうねるような筆遣
いが様々思い浮かびました。
枯野より眠れるチェロを抱き起こす
こんな感じで始まるチェロの弦の響きが耳の底から聞こえて来るようです。
蕭条とした中の温かみのある音色。読み手に音楽を聞かせてくれて、いつも
ながら、さすがと思います。
角材の切り口香る年の暮
年の暮に木材の切り口が、よく香るのに出合った経験はしばしばあります。
冬の空気に匂う木材のかぐわしさに、新鮮さと明るさを感じます。
酢海鼠や死者と一献交わしける
一献交わすとき死者はそこに来ているのでしょう。斎藤 史の「ひつそり
と死者の來てゐる雪の夜熱い紅茶をいれましようね」を思い出しておりまし
た。
追悼 磯貝碧諦館
握る手の永遠の温もり花月夜
かたく握った手の温もりはそこに静止し、永遠に続く。最期の時は永遠の時であって、
それにふさわしい美しい花月夜です。
海鳴りの彼方の母やかき氷
「かき氷」とあるから、少年の日ころの母を思い出されたのでしょうか。「海鳴りの彼
方」の切なさが、なんともいいと思います。
○現の証拠(げんのしょうこ)

[げんのしょうこ/横浜・四季の森公園] [げんのしょうこ/東京・向島百花園]
★うちかヾみげんのしょうこの花を見る/高浜虚子
★山の日がげんのしょうこの花に倦む/長谷川素逝
★手にしたるげんのしょうこを萎れしめ/加藤楸邨
★草掻き分けてげんのしょうこの花がある/高橋信之
ゲンノショウコ(現の証拠 Geranium thunbergii)は、フウロソウ科の多年草。日本では北海道の草地や本州~九州の山野、また朝鮮半島、中国大陸などに自生する。生薬のひとつであり、植物名は「(胃腸に)実際に効く証拠」を意味する。玄草(げんそう)ともいう。茎は約30-40cmに伸び、葉は掌状に分かれる。紅紫色または白紫色の花は夏に開花し、花弁は5枚(紅紫花種は西日本に、白紫花種は東日本に多く見られる)。秋に種子を飛散させた後で果柄を立てた様が神輿のように見える事から、ミコシグサとも呼ばれる。近い仲間にアメリカフウロ、老鶴草などがある。
ゲンノショウコはドクダミ、センブリなどと共に、日本の民間薬の代表格である。江戸時代から民間薬として用いられるようになり、『本草綱目啓蒙』(1803年)にも取り上げられた。現代の日本薬局方にも「ゲンノショウコ」として見える。但し、伝統的な漢方方剤(漢方薬)では用いない。有効成分はタンニン。根・茎・葉・花などを干し煎じて下痢止めや胃薬とし、また茶としても飲用する。飲み過ぎても便秘を引き起こしたりせず、優秀な整腸生薬であることからイシャイラズ(医者いらず)、タチマチグサ(たちまち草)などの異名も持つ。
生活する花たち「野菊・藤袴・萩」(東京・向島百花園)

★刈り進む稲田の真っ赤なコンバイン 正子
今、当に稲刈りの真っ最中です。黄金に熟れた豊かな稲田を真っ赤なコンバインが爽やかな音を響かせて刈り進んでいる。コンストラストが鮮明でコンバインの勢いと刈り進んでゆく人の収穫の歓びも合わせ見えて参ります。(佃 康水)
○今日の俳句
満月や瀬戸の潮騒高まりぬ/佃 康水
月に左右される潮の干満。満月が昇ると、おだやかな瀬戸もざわざわと潮騒が高まる。潮騒の高まりに、ますます輝く満月となって、臨場感のある句となった。(高橋正子)
●爽やかな秋晴れ。
ネット短信No.355を発信。
https://blog.goo.ne.jp/kakan107
「俳句四季10月号・花冠創立35周年」の同人各位の感想をまとめ、「ブログ版俳句雑誌花冠」に載せる。
https://blog.goo.ne.jp/kakan12
昨日、『朝吹秀和句集』(現代俳句文庫84-ふらんす堂/2018.9.25発行)が贈られた。初めて写真を拝見。読みたい本があったが、それは後回しに。
第一句集『青きサーベル』第二句集『光の槍』は贈っていただいた。第三句集『夏の鏃』は読んでいない気がする。句集の中の感銘句はあとで挙げるとして、朝吹さんは、磯貝碧諦館の「握手」の編集長を終刊までされていて、草田男ー碧諦館と連なる師系におられる。このことは、句集の中のエッセイ「論考・草田男精神の継承を目指して」でより明らかにされている。
そのことで、はたと思った。朝吹さんの句を師系に置かないで読んだ場合と、師系列の中で読むのでは、まるで、理解が違う、ということを思った。「師系おそるべし」。朝吹さんの句は、草田男から碧諦館を経て詠まれているのだと気づいた。
自分の句に関しても、複雑だが、師系列のなかで理解してほしいと願うし、それに嵌めないでとも願う。
○貴船菊
[貴船菊/横浜日吉本町] [貴船菊/イギリス・コッツウォルズ]
★観音の影のさまなる貴船菊/阿部みどり女
コッズウォルズ
★小さき村貴舟菊をどの家も/高橋正子
秀明菊は貴船菊ともいう。俳句では貴船菊が多い。多く観られる京都洛北の貴船に由来する。ピンクの花弁は実は額片で中央の黄色は雄蕊、地下茎で増える。
シュウメイギク(秋明菊、学名:Anemone hupehensis var. japonica)とは、キンポウゲ科の植物の一種。別名、キブネギク(貴船菊)。名前にキクが付くが、キクの仲間ではなくアネモネの仲間である。中国から古い時代に入ってきた帰化植物である。文献上では「花壇綱目」に「秋明菊」の名前で記載が成れていて、日本に定着していたことが窺える。中国では明代末の「本草綱目」には記載はなく「三才図会」に「秋牡丹」の名前で記載されるようになる。「秋牡丹」の呼称は貝原益軒も「大和本草」で使用している。以後日本の園芸書には「秋明菊」「秋牡丹」で紹介されることが多くなり、「しめ菊」「紫衣菊」「加賀菊」「越前菊」「貴船菊」「唐菊」「高麗菊」「秋芍薬」などの多様な別名で呼ばれることになった。花色は赤紫色であるが、近年、他種との交配品種が市販されるようになり、弁数が少ない品種や白色の品種が多く栽培されて名称の混乱が見られる。多年草で開花期は秋、高く伸びた花茎の上に大柄な花をつける。花は多数の赤紫色の花弁状の萼片が目立ち、本物の花弁はない。
◇生活する花たち「ノダケ・シロバナサクラタデ・ユウガギク」(東京白金台・国立自然教育園)

★式部の実色づき初めしに空晴るる 正子
○今日の俳句
刷かれきてここより鰯雲となる/川名ますみ
眺めている空の雲の景色は、見ていて飽きない。移動していると、空に刷かれていたすじ雲が、あるところからは、鰯雲となったというたのしさ。秋空の澄んだ空気を得て、心境が出た。(高橋正子)
●台風24号の影響が出始める。
早暁目覚め、「俳句四季10月号」を丁寧に読むが、記事が小刻みで写真に遮られ読みにくい。同じような内容の記事が少量ずつあちこちにあるし。来年1年間の購読と申し込んだが、ちょっと残念な思い。
梨の実の中の青梨汽笛鳴り 正子
柘榴の実ほろほろこぼす子の手のひら 正子
柘榴の紅USAの字が浮きて 正子
○アズマカモメヅル

[アズマカモメヅル/東京白金台・国立自然教育園]
東鴎蔓
★森に来て見知らぬ草の花に会う/高橋信之
東鴎蔓(アズマカモメヅル var. albiflorum )は、ガガイモ科 カモメヅル属で、コバノカモメヅルの変種。コバノカモメヅルの白花品(黄緑色)。花の色が違う他は基本種と違いはない。
小葉の鴎蔓(コバノカモメヅル、学名:Vincetoxicum sublanceolatum )はガガイモ科カモメヅル属のつる性の多年草。つる性で、他の草などに巻きついて、高さは2mから3mほどになる。葉は葉柄があり、茎に対生し、形は披針形または広披針形で先が尖り、縁は全縁。花期は7月から9月で、径7から9mmほどの暗紫色をした星型の花をつける。花が終わると径7mm、長さ5から7cm程度の、ガガイモ科特有の袋果(実)をつける。秋に袋果が割れ、種髪(毛束)をつけた種子がはじける。本州の関東地方、中部地方、近畿地方の山野の草原や湿地に自生する。
◇生活する花たち「葛の花①・葛の花②・木槿(むくげ)」(横浜日吉本町)

★金水引つゆ草さくら蓼野が埋まり 正子
春のピークと同様、秋の季節のピークには野山には秋の草花で覆われます。まさに秋の園、草の花、秋の色ですね!!青空に映えて散策が一際楽しくなる気候となりました。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
四条大橋~高瀬川界隈
せせらぎの岸に茶店や水の秋/桑本栄太郎
せせらぎのほとりの茶店はいいものだ。ゆっくりとお茶を飲みながら水音を聞き、水を眺める。「水の秋」の爽やかさである。(高橋正子)
●晴れ。久しぶりの天気。明日からは台風で大雨の予報。布団干し、郵便局、銀行、薬局の用事を済ます。
日吉商店街で小買い物。井口文華堂で小筆。井口文華堂が中央通りからなくなっていたので、隣のマルヤさんで聞くと、すぐ近くに規模を小さくして開店していた。横通りの八百屋で、新潟の無花果、愛媛の青蜜柑、地元の茗荷を買う。東急で子持ち鮎。
柳原美知子さんから電話。「俳句四季10月号」のことで。私の力を注いだところ、ーー 一人一句を挙げるのに句集を読み返したり、ネットの秀句を調べたりしたところをよく汲み取ってもらった話だったので、大変うれしかった。写真までも凛としていいと言われて恐縮。写真では、絶対笑いたくないから笑っていないのだけれど。
一人居の食卓匂わす青蜜柑 正子
みちのくの無花果の乳噴きだせる 正子
鮎焼くとグリルの炎の色清らかなり 正子
◇生活する花たち「茶の花・犬蓼・吾亦紅」(横浜下田町・松の川緑道)

★露草の青のいのちの正午まで 正子
あちこちの路傍に生える露草は一年草で青色の花をさかせる。月光を浴びて咲くので月草とも言われ、正午頃には綺麗な青色が覚め始める。初秋に可憐に咲く素敵な花ですね。(小口泰與)
○今日の俳句
とんぼうととんぼの影の水面かな/小口泰與
とんぼうが水面を飛ぶ。そのとんぼの影も水面にある。澄んだ水面と、とんぼうの翅の透明感がよい。(高橋正子)
●雨。大型台風24号が近づく。今朝は、10月下旬ごろの気温。
「WEP俳句年鑑」への投句依頼がある。「現代の俳句風景が見られるものにしたい。」のが発行趣旨。
閉め切りは10月15日。自選7句。参加資格は主要同人・会員。来年1月発行予定。定価2800円。で
花冠から9名推挙。でも、ずいぶん急な話だな。
秋冷にほのかに温し小鳥の身 正子
誰か居るように紅茶を秋の朝 正子

[白鳥(コッツウォルズ バイブリー)] [シェイクスピアの家(ストラトフォード・アポン・エイボン)]
◆イギリス俳句の旅2011◆
○バイブリー
コッツウォルズ地方と言えば、日本ではバイブリーの景色がなじみとなっている。この町は世界一きれいな町として、実際ここに住んだウィリアム・モリスが言っている。彼は町の保存に力を尽くしているが、もとはウールで栄えた町だった。産業が下火になり、家を建て替えたりする資金がなく、昔のままが保存されたということである。家は、近くで多く産出されるライムストーンという砂岩で出来たブロックを積んで造られて、独特の風合いとなっている。小川も大変きれいで、ウールで栄えたころの教会がある。ライムストーンは、湿度や気温などその土地によって、変色がさまざまであるそうだ。花が家を飾り、これが普段の人々の生活そのものであることに驚かされる。教会のとなりに小さな小学校があるが、しずかに授業をしている声が聞こえた。乗用車がひっきりなしに通るのも不思議なほどだ。
水澄んで白鳥ふうわり流れくる
○ボードン・オン・ザ・ウォーター
ボードン・オン・ザ・ウォーターは、町を浅い川がながれ、川のほとりは、芝生が植えられベンチが置いてある。川に六本橋がかかっているが、二〇歩ほどで渡れる橋だ。観光にきた老人も多く、町の人に交じってゆっくりお茶を楽しんでいる。ここのティーハウスで、お昼前だったが、クリームティーを句美子と楽しんだりした。クリームティーは、紅茶とスコーンのセットを楽しむお茶のことで、スコーンにジャムとバタークリームが付いて供された。アールグレイを頼むとゆったりとしたティーポットに入れてきてくれた。
お茶のあと、観光街を外れてあるいていると、「ポッタリー175ヤード」の小さな標識があったので、そのポッタリーをさがして歩いた。ヤードはたぶん、「ひとひろ(両手をのばした長さ)」ではなかったかと、思いつつ歩くと間もなく見つかった。
店に入って驚いた。益子焼とバーナードリーチの作品に非常に似ている。なにかそういう影響を受けたのかと店の女主人に聞くとそうだという。彼女も芸術家で彫刻と絵付をしている。主人が焼いている。ミルクピッチャーを一つかった。益子焼に似ている。彼女によれば、浜田庄司の湯呑をひとつもっているとのことだった。パンフレットにはリーチイーストセンターでご主人が勉強したと書いてあった。近くで産出されるこれもライムストーンを使っているようであった。モリスにしろ、リーチの影響を受けたご主人にしろ、思ってもみなかった縁がここにあることに、驚かざるを得なかった。
秋夕日羊にそれぞれ影生まる
○ストラトフォード・アポン・エイボン
シェークスピアの生家を訪ねる前に、妻のアンの生家を訪ねた。趣のある藁ぶき屋根の家で庭には当時植えられていたであろう花がいろいろ植えてあった。屋根には小さな金網を掛けてあり、小鳥が巣づくりで藁を抜いていかないようにするためと聞いた。
シェークスピアの生家は、街のなかにあり、写真で見るより小さかった。シェークスピアが生まれた両親の部屋なども見たがベッドもずいぶん小さい。大きくなると、背に大きな枕当てて、半身を起して寝たようだ。体を伸ばして寝ると死んだように見えるからとも言っていた。暖炉があり、冬は湿った薪を焚くので、部屋は煙りがもうもうとなり窓を開けて寝たとも。そのために、ナイトキャップが必要とされたそうだ。父親は皮職人だったので、皮手袋をぶら下げて売っていた部屋もあった。今は裏庭に秋のはなが咲き乱れていたが、トサツ場であったようで、牛の骨が見つかっている。ドラマ仕立ての説明があったが、ドラマティックに仕立ててあって、演劇の素地がこの街にあることを十分に感じた。著名演劇人に交じって日本人では黒沢明の写真が1枚あった。
この街の中学生や高校生をバスが停車しているとき見たが、日本人とわかると、「こんにちは。」と声をかけてくる。日本の普通の中学生と変わらない。明るい雰囲気のする街であった。シェークズピアが眠る教会を訪ねたが、アプローチに12使徒を表す菩提樹が12本両脇に植えてあった。エイボン川の流れが静かであった。
シェイクスピアの生家
秋晴るる日射し庭の花々に
◇生活する花たち「藻の花・萩・藪蘭」(鎌倉・宝戒寺)

“>★林檎手に送られ来しが赤ほのと 正子
遠くから送られてきた林檎。手に取ってみればほんのりと赤く色づいている。林檎そのものへの慈しみのみならず、遥か旅してきた林檎への労り、贈り主への感謝の思いも読み取ることができます。(小西 宏)
◯今日の俳句
★静かなる海の遠さや稲光/小西 宏
海ははるかに遠くに静かに横たわる。全く平らかに。ところが、その海をいらだたせるかのように、稲光が走る。平らな海と稲妻が好対照。(高橋正子)
●雨。名月のあとの昨日はどしゃ降り。今朝は小雨。小寒い。
21日に発送した「俳句四季10月号」が昨日25日に皆さんに届いたようで、届いたひとから8名からメールをもらう。印刷して病院の信之先生に見せる。3連休があったせいか、到着が遅かった。郵便局連休は配達を休んでいる?
○柚香菊(ゆうがぎく)

[柚香菊/東京小金台・国立自然教育園]
★花開ききったり柚香菊そこに/高橋信之
★花びらの欠けるかに咲き柚香菊/高橋正子
★やや寒し柚香菊の白を帯ぶ/〃
★茎すっと伸びて岐れて柚香菊/〃
★湖の縁にならんで柚香菊/高橋句美子
ユウガギク(柚香菊、学名:Kalimelis pinnatifida) は、キク科ヨメナ属の多年草で、やや湿性の高い場所に自生し、いわゆる「野菊」の仲間である。草丈50cmほどで、しばしば1mを越える。上部で花茎を分け、花期は6月下旬~11月、茎頂に径3cm前後の白から淡紫色の典型的なキク型の花をつける。葉は、幅3cmほど、長さ8cm前後の卵状長楕円形で、通常、葉縁に鋭く浅い切れ込みか、または羽状の中裂が入る。本州の近畿地方以北に分布し、関東地方以北に分布するカントウヨメナにとてもよく似ている。近年、シロヨメナをヤマシロギクの別名としたり、その逆としたり、シロヨメナとヤマシロギクを混同する記載が結構目立つ。シロヨメナとヤマシロギクはともにノコンギクの亜種だが、別種である。ヤマシロギクは東海地方以西に分布し、シロヨメナの分布は本州~九州・台湾である。シロヨメナはしばしばヤマシロギクとの間に雑種を作るのでこのような混同がおきているのかもしれない。「柚香菊」は、ユズの香りがするとの命名だが、葉を揉んでもユズの香りは確認できていない。
★野菊持ちし女の童に逢ひぬ鈴鹿越/正岡子規
★足元に日のおちかかる野菊かな 一茶
★湯壷から首丈出せば野菊かな/夏目漱石
★蝶々のおどろき発つや野菊の香/前田普羅
★頂上や殊に野菊の吹かれをり/原石鼎
★かがみ折る野菊つゆけし都府楼址/杉田久女
横浜日吉・慶大グランド
★サッカーの練習熱帯ぶ野菊咲き/高橋正子
柚香菊は、野菊の仲間である。野菊(のぎく)とは、野生の菊のことである。よく似た多くの種があり、地域によってもさまざまな種がある。一般に栽培されている菊は、和名をキク(キク科キク属 Dendranthema grandiflorum (Ramatuelle) Kitam.)と言い、野生のものは存在せず、中国で作出されたものが伝来したと考えられている。したがって、菊の野生種というものはない。しかしながら、日本にはキクに似た花を咲かせるものは多数あり、野菊というのはそのような植物の総称として使われている。辞典などにはヨメナの別称と記している場合もあるが、植物図鑑等ではノギクをヨメナの別名とは見なしていない。現在では最も身近に見られる野菊のひとつがヨメナであるが、近似種と区別するのは簡単ではなく、一般には複数種が混同されている。キク科の植物は日本に約350種の野生種があり、帰化種、栽培種も多い。多くのものが何々ギクの名を持ち、その中で菊らしく見えるものもかなりの属にわたって存在する。
野菊は、野生の植物でキクに見えるもののことである。キクはキク科の植物であるが、この類の花には大きな特徴がある。菊の花と一般に言われているものは、実際には多数の小さい花の集合体であり、これを頭状花序と言う。頭状花序を構成する花には大きく2つの形があり、1つはサジ型に1枚の花弁が発達する舌状花、もう1つは花弁が小さく5つに割れる管状花である。キクの花の場合、外側にはサジ型の舌状花が並び、内側には黄色い管状花が密生するのが基本である。
◇生活する花たち「ノダケ・シロバナサクラタデ・ユウガギク」(東京白金台・国立自然教育園)

★もろこしのつめたさつまり露の冷え 正子
朝夕田畑に露が置き敷かれる秋口はちょうどトウモロコシが稔るころ。その実を手に取ると、ぎっしりとつまった粒があたかも露の玉のようのように冷たくも感じられますね。軽妙な詠みが秋の到来を実感させてくれます。(河野啓一)
○今日の俳句
深み行く秋空ひろきベッドかな/河野啓一
入院生活も長くなられ、猛暑の夏を越して秋になった。ベッドから眺める秋空がひろびろと、色深くなってきて、もの思う作者の心境が察せられる。(高橋正子)
●曇。
名月の今天心に止まれる 正子
秋冷の病窓灯のある街のを見せ 正子
○酔芙蓉
[酔芙蓉/横浜・四季の森公園] [酔芙蓉/横浜日吉本町]
★震度四芙蓉の酔ひをうながしぬ/水原春郎
★無雑作な土鉢に風の酔芙蓉/皆川盤水
★歌詠みの留守を預けし酔芙蓉/品川鈴子
★漲るは朝の大気の酔芙蓉/稲畑汀子
★酔芙蓉向かうをむいてをりにけり/高橋将夫
★日の暮れの日のあるうちの酔芙蓉/鷹羽狩行
★枝ぶりの日ごとに替る芙蓉かな 芭蕉
★日輪病めり芙蓉の瓣の翳ふかく 亞浪
★深まれる秋の真中の酔芙蓉/高橋正子
フヨウ(芙蓉、Hibiscus mutabilis)はアオイ科フヨウ属の落葉低木。種小名 mutabilisは「変化しやすい」(英語のmutable)の意。「芙蓉」はハスの美称でもあることから、とくに区別する際には「木芙蓉」(もくふよう)とも呼ばれる。原産地は中国で、台湾、日本の沖縄、九州・四国に自生する。日本では関東地方以南で観賞用に栽培される。
同属のムクゲと同時期に良く似た花をつけるが、直線的な枝を上方に伸ばすムクゲの樹形に対し、本種は多く枝分かれして横にこんもりと広がること、葉がムクゲより大きいこと、めしべの先端が曲がっていること、で容易に区別できる。
スイフヨウ(酔芙蓉、Hibiscus mutabilis cv. Versicolor) 朝咲き始めた花弁は白いが、時間がたつにつれてピンクに変色する八重咲きの変種であり、色が変わるさまを酔って赤くなることに例えたもの。なお、「水芙蓉」はハスのことである。混同しないように注意のこと。 アメリカフヨウ(草芙蓉(くさふよう)、Hibiscus moscheutos、英: rose mallow) 米国アラバマ州の原産で、7~9月頃に直径20cmにもなる大きな花をつける。草丈は1mくらいになる。葉は裂け目の少ない卵形で花弁は浅い皿状に広がって互いに重なるため円形に見える。この種は多数の種の交配種からなる園芸品種で、いろいろな形態が栽培される。なかには花弁の重なりが少なくフヨウやタチアオイと似た形状の花をつけるものもある。
生活する花たち「白むくげ・萩・藤袴」(東京・向島百花園)

四国88ヶ所45番札所 岩屋寺
★月明の寺に湯浴みの湯をたまわり 正子
岩屋寺は一遍上人も修行された寺だということで、私も何回か行ったことがあります。月明かりの中での湯浴みは、心身ともに疲れを癒してくれたことでしょう。(井上治代)
○今日の俳句
廃屋の増えゆく里や白木槿/井上治代
廃屋が増えていく村里と白槿の寂しさとがよく呼応しています。(高橋正子)
●晴れ。気持ちよい天気。
今日は妹へ葡萄のお返しと、元希の敬老の日の絵と手紙のお礼の品を買いにそごうへ。
今朝の朝日新聞の俳壇・歌壇のコラム「短歌時評」の大辻隆弘氏の「誰に向けてうたうのか」は、短歌を俳句に置き換えてもほぼ当たる内容で、興味をひかれた。
<「読者一人一人の心の必然性によって得られたポプラリティであれば、理想的。」(東直子)という肯定的意見から、「短歌を公にするに当たって歌人は、ポプラリティを求めるべきではない。」(石井辰彦)とする意見まで、見解は多岐に渡っている。>これを読むと、現在東直子氏は、言葉通りに人気の歌人で、ポプラリティのある歌人と言え、穿つわけではないが、自分自身を肯定する意見と、読める。
結論としての大辻氏の意見あるいは感想は、「歌人たちがポプラリティに誘惑を感じる背景には、批評不足の状況にたいする漠然とした不安がある。が、もし多くの読者を獲得することだけが歌作の最重要課題となるなら、少し寒々しい。」である。
俳句や歌を作る人が「批評不足に感じる不安」は何だろう。批評不足はなぜ起きているのか。批評不足だけが不安なのか、という疑問も湧く。
一つは、俳句・短歌の大衆化・俗化。批評することを、大衆や俗世間は、悪口ととる。文芸上のことと捉えない。最近「今は戦争前の世の中と似てきた」というのをよく聞くが、他人と違う意見が言いにくい。一人が褒めると二人が褒める。二人が褒めると三人、五人と褒める人が増えていく。(ついに褒められた人はマスコミ界で著名になるのだが。)そのなかで、異を唱えることは、わざわざバッシングを受けるために名乗り出るようなものだ。そのように思える。
(去年)
俳句界10月号に橋本直氏が「俳句における「解釈」と「構造」」という文を書いておられた。夕べ読んだ。
<社会の中の言語実践の仕組みを思うとき、俳句のとあるひとつの構造に入りきることで一種の商況的情操を帯びるほうがわかりやすくなるだおう。大西*の用語を借りれば、それが「道」ということかと思われる。>
*大西:大西克礼(1888-1959)(『東洋的芸術精神』などの著者)
○オクラ(秋葵)
[オクラの花と実/横浜日吉本町] [黄蜀葵(トロロアオイ)/ネット(野平美紗子)より]
★口楽しオクラの種を噛むことも/中村文平
★薄刃もて刻むオクラの糸を引く/松下裕子
★陽を浴びるオクラの花を訪ひにけり/山元重男
★一晩の時間オクラのふとりかな/松田秀一
★黄蜀葵花雪崩れ咲き亡びし村/加藤楸邨
★市原野とろろあふひの花咲かす/加藤三七子
★空を謳歌するごと黄蜀葵/野平美紗子
★オクラの花と実と出会う小さな旅よ/高橋信之
★秋葵川は南へ流れ去る/高橋信之
★秋葵花は黄色を澄ましきる/高橋正子
★露消えしばかりの時間秋葵/高橋正子
オクラ(秋葵、Okra、学名:Abelmoschus esculentus)は、アオイ科トロロアオイ属の植物、または食用とするその果実。和名をアメリカネリと言い、ほかに陸蓮根(おかれんこん)の異名もある。英名okraの語源はガーナで話されるトウィ語 (Twi) のnkramaから。沖縄県や鹿児島県、伊豆諸島など、この野菜が全国的に普及する昭和50年代以前から食べられていた地域では「ネリ」という日本語で呼ばれていた。今日では当該地域以外では「オクラ」という英語名称以外では通じないことが多い。
以前はフヨウ属(Hibiscus)に分類されていたが、現在ではトロロアオイ属に分類されている。短期間で50cm-2mほどに生長し、15-30cmの大きさの掌状の葉をつけ、黄色に中央が赤色のトロロアオイに非常に似た花をつける。開花は夜から早朝にかけてで、昼にはしぼんでしまう。開花後、長さ5-30cmの先の尖った形の五稜の果実をつけ、表面に短毛が生えており、熟すと木質化する。原産地はアフリカ北東部(エチオピアが有力)で、熱帯から温帯で栽培されている。エジプトでは、紀元前元年頃にはすでに栽培されていた。アメリカ州では、主に西アフリカから移住させられた奴隷によって栽培が始まり、現在でもアメリカ合衆国南部、西インド諸島、ブラジル北部など、アフリカ系住民の多い地域でよく栽培されている。日本に入って来たのは明治初期である。熱帯では多年草であるが、オクラは少しの霜で枯れてしまうほどに寒さに弱いために、日本では一年草となっている。
オクラは、刻んだ時にぬめぬめした粘り気が出るが、この粘り気の正体は、ペクチン、アラピン、ガラクタンという食物繊維で、コレステロールを減らす効果をもっている。日本では、生あるいはさっと茹でて小口切りにし、醤油、鰹節、味噌などをつけて食べることが多い。他にも、煮物、天ぷら、炒めもの、酢のもの、和えもの、スープ、すりおろすことによってとろろの代用にするなどの利用法がある。加工食品として、ソースやケチャップの原材料としても用いられる。種子は煎じてコーヒーの代用品として飲まれた歴史がある。
トロロアオイ(黄蜀葵、学名:Abelmoschu manihot )は、アオイ科トロロアオイ属の植物。オクラに似た花を咲かせることから花オクラとも呼ばれる。原産地は中国。この植物から採取される粘液はネリと呼ばれ、和紙作りのほか、蒲鉾や蕎麦のつなぎ、漢方薬の成形などに利用される。花の色は淡黄からやや白に近く、濃紫色の模様を花びらの中心につける。花は綿の花に似た形状をしており、花弁は5つで、朝に咲いて夕方にしぼみ、夜になると地面に落ちる。花びらは横の方向を向いて咲くため、側近盞花(そっきんさんか)とも呼ばれる。
◇生活する花たち「犬蓼・吾亦紅・チカラシバ」(横浜下田町・松の川緑道)
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★パイプ椅子天の川へと向け置かれ 正子
夜も更け暮しの灯も落ちて来た頃、漆黒の夜空に輝く天の川をゆっくり眺めようと持ち運びし易いパイプ椅子を用意されたのでしょうか。澄み渡った今宵の空への期待と作者の心のゆとりまでも感じられる涼やかな御句です。(佃 康水)
○今日の俳句
ゆきあいの空へコスモス揺れどうし/佃 康水
「ゆきあいの空」がなんともよい。出会った空にコスモスゆれどうしている。そんな空に明るさと夢がある。(高橋正子)
●秋雨前線の影響で、夕べは雨。今朝は上がるが、肌寒い。
今朝のラジオ、曹洞宗の40歳ぐらいの僧侶の話。修行は、毎日、規則正しく生活すること。自分でルールを作ってきちんきちんとそれを行うこと、というような内容。『正法眼蔵』の話も。花冠のデイリー句会(自由な投句箱)もその意味では、修行。修行は難行苦行を言うのではないらしい。淡々と行うことか。
そういう意味で、デイリー句会が意味をなしているとも言える。
アメリカの初期の英語俳句は禅の影響を受けている。ネットを始めたばかりの頃、20年ぐらい前、アメリカのネットを覗くと、ごく普通の人の句に「serene」という英語を使った俳句がよく見られた。なにかしら、高みを求めていた。今はどうなんだろう。違う気がする。その時代の句を古いと一蹴している気がする。
○曼珠沙華

[曼珠沙華/東京白金台・国立自然教育園] [曼珠沙華/横浜・四季の森公園]
★曼珠沙花あつけらかんと道の端 漱石
★木曾を出て伊吹日和や曼珠沙華 碧梧桐
★駆けり来し大烏蝶曼珠沙華 虚子
★彼岸花薙がば今もや胸すかむ 亞浪
★悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる 山頭火
★曼珠沙華無月の客に踏れけり 普羅
★崖なりに路まがるなり曼珠沙華 石鼎
★葬人の歯あらはに哭くや曼珠沙華 蛇笏
★曼珠沙華五六本大河曲りけり 喜舟
★投網首に掛けて人来る彼岸花 汀女
★曼珠沙華茎見えそろふ盛りかな 蛇笏
★曼珠沙華傾き合ひてうつろへり 泊雲
★むらがりていよいよ寂しひがんばな 草城
★考へても疲るるばかり曼珠沙華/星野立子
★曼珠沙華今朝咲きぬ今日何をせむ/林翔
★青空に声かけて咲く曼珠沙華/鷹羽狩行
★水に水ぶつかり勢ふ曼珠沙華/能村研三
★旅すれば棚田棚田の曼珠沙華/高橋正子
★曼珠沙華日暮れの空の青きまま/〃
★起きぬけの目にりんりんと曼珠沙華/〃
日本には北海道から琉球列島まで見られるが、自生ではなく、中国から帰化したものと考えられる。人里に生育するもので、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。また、日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、種子で増えることができない。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。学名のLycoris(リコリス)とはギリシャ神話の女神、海の精:ネレイドの一人、Lycoriasの名前からとられたもの。
◇生活する花たち「女郎花・葛の花・萩」(四季の森公園)
