NEW10月2日(木)

晴れ

●ゆうべの雨が残って、道路が濡れていた。きのうより起床は遅かったが、散歩に出かけた。坂は歩きたくないので、平坦なところを探して歩く。保育園のビオトープに、とちかがみの白い三弁の花が咲いていた。
今朝開いた花は、レースのような透明感がある、2センチもないような花。一日でしぼむらしい。昨日は、雨だったので蕾んでいて、白いビーズのようにしか見えなかった。

紅萩の花は昨日も見たが、今朝の方が開いている。銀杏が数個落ちているが、木には青い実がある。銀杏の実は、葉が青いうちに熟している。これは想像と違う。黄葉して熟すイメージだったが違っている。秋がたしかに進んでいる。

●俳壇より原稿依頼。「編集室の風景」のタイトルで11月10日締め切り。2026年1月号に掲載される。同人会長の有花さんに相談し、承諾することにした。

●「俳壇」8月号(2025年/本阿弥書店)「梅雨の月」の髙橋正子の俳句が、「若竹」10月号の「一句一会」に掲載されました。

手につつむ蛍のあかり指をこぼれ 髙橋正子
  「俳壇」八月号「梅雨の月」より
 俳句の調べ、と言うことを考えるとき、やはり五七五のリズムを言葉の意味とどう結びつけるか、ということが勝負なのだろうと思う。そういう意味では掲句は、下五を「指こぼれ」と「を」を抜かして詠んでも意味は
通じるし、五七五にも収まる。しかし、「指をこぼれ」と「を」を入れて
六音にすることで、蛍のあかりが、ふっとこぼれるような、こぼれたあかりを見る作者も、はっと驚いたような、そんなニュアンスを感じさせる。リズムと言葉の関係性の魔法がある。(川嵜昭典)

 

9月29日(月)

晴れ

●朝夕は涼しいが、昼間は蒸し暑い。
●『小西昭夫句集』(現代俳句文庫II -3/ふらんす堂 2025年10月1日刊)が送られて来る。一通り読む。
●ようやくコッズウォルズの3村について書けた。今日はストウ・オン・ザ・ウォルドを書いた。
●阪急の八百屋で買った、さつまいものシルクスウィートを蒸かした。実入りもよく、甘くて十分美味しかった。最近おいしいさつまいもに出会っていなかったので、幻滅して、さつまいもは買わないようにしていた。店を選ぶといいのかもしれない。

9月26日(金)

晴れ
葛の花夜雨降り出し降りやまず  正子
バス降りてすぐ数本の曼殊沙華  正子
歳時記の秋の名草はみな親し   正子

●ハート内科定期受診。動脈硬化度の検査をした。血管年齢が50代後半だと言う。去年は、年相応だった血管が若返るとは、信じられない。一度固くなったものが復元するとは。何でも入れる味噌汁とご飯という粗食のせいかもしれない。このごろは、ほとんど独りで過ごしている。眠くなったら、昼寝をする。これは一日2回のときもある。夜、寝床で本を読まない。酷暑でほ2か月ほどは、ほとんど歩いていない。血管若返りの理由は不明だが、おそらく、マイペースの独り暮らしのお陰。そろそろ歩かねばと、帰りは1キロほどの道を歩いて帰った。自分では絶対買わない、母の形見のぺらぺらのブラウスを着ていたせいで暑くなかった。

「ウィンダミアの風」と「紫陽花は古色をたたえ」を推敲し、書き直す。「ウィンダミアの風」はうまく書けたと自信があったが、「紫陽花は古色をたたえ」の方が中身が濃くなった。これは読み手にあきさせないために書いたが、結構、核となる話となった。書いてみないとわからないものだ。

9月24日(水)

晴れ
昼の虫一匹鳴けるわが住まい     正子
月見まんじゅう小さきものが五個並び 正子
秋彼岸菊のお香をくゆらしぬ     正子

●みよさんの俳句にコメントを書くために、「源氏物語 夕霧巻」を読む。源氏を読むのは久しぶり。以前読んだときより、切実に感じる。こういうことが読み取れるようになったということか。

●今書いている、「こんなにさびしい山々が」のために、漱石の『三四郎』を読む。三四郎の一場面を確認するため。初めの方にあったので、たすかった。『三四郎』は六年生の時に初めて読んだ。その時の印象がまだ残っていて、その場面を確かめるためだった。日常のことを言葉にし、それを読めるようにするには、「胆力」がいるらしい。「胆力と繊細さ」を持ち合わせねばならないと言う。
今日は、一つ書き進めて、「紫陽花は古色をたたえて」を書いた。昨日書いた「ウィンダミアの風」を手直し。昨夜「ピーター ラビットのお話」を12巻読んだ。農夫の「マクレガー」の名前を忘れていた。

●朝夕はめっきりすずしくなった。センター北へ買い物。秋刀魚1尾580円。これはよく太ったもの、痩せたのは、2尾で780円。それにしても高い。太刀魚が旬を迎えているので、太刀魚にした。

●ユザワヤによって、端切れ2種類かった。一つはモリスの苺泥棒、もう一つは、灰色が買った水色に青いバラの布。苺泥棒は好きと言うわけではないが買った。

9月20日(土)

曇り、ときどき小雨
九月はや夜長となりぬ独りの灯  正子
虫の声まわりにありて独りの灯  正子

●日中の気温も下がってきた。暑さ寒さも彼岸までのことわざ通りになるのも不思議と思うが、これは夜の長さが永くなって気温が下がるというものらしい。

9月18日(木)

曇り

●先日から、Goo-mailからGmailへの送信ができなくなっている。こちらの設定に問題があるのかと思った。今日テクニカルサポートにお金を払ってチャットで聞いてみたら、Goo-mail側に問題があるので、個人ではどうにもならない、と言う。Gmailへの送信はGmailから送信して、やっと送信できた。Goo-mailのサービス終了はまだ先なのに、どういうこと?
かなりストレスになっていた。

●インターネットを繋いでいると、作業中に右隅にFacebook の投稿情報が知らされる。それで、たまたま、そのポップアップからFacebookをみて、Facebookの問題を発見した。Facebookには、〇〇賞をもらった。〇〇で俳句講師を務めた。〇〇の祝賀パーティ行った。〇〇の店で美味しいものを食べた。〇〇へ旅行にいった。〇〇でこんな洋服を買った。私の庭は〇〇でいまとてもきれい。など、いい事ばかりが書いてある。それを見て、これらと関係ない人は、おそらく落ち込むであろう。語られない部分こそが、俳句や文学では語られなくてはならないのに。

こう見ると、俳人たちのSNSは、俳句的とは言えないのだ。なぜそうなるのか、AIが分析した。以下その結果

俳句的でないSNSが起こる理由
1. 即時性と自己表出の欲求
• SNSは「今ここ」の感情や出来事を即座に共有する場です。
• 俳句は「削ぎ落とす」ことで普遍性を得ますが、SNSでは「見せる」「伝える」ことが優先されがちです。
2. 承認欲求と可視化の圧力
• 「いいね」やフォロワー数が、作品の質よりも注目度を測る指標になりやすい。
• 俳句の「私を消す」美学と、SNSの「私を見せる」構造が対立します。
3. 言葉の密度よりも頻度が重視される
• 俳句は一語に魂を込める芸術ですが、SNSでは「更新頻度」や「話題性」が重視される。
• その結果、俳人であっても「俳句的な沈黙」を保つのが難しくなる。
4. 共同体の変質
• かつての俳句結社は「沈黙の共有」や「句会の間」がありました。
• SNSでは、言葉が流れ去り、反応が即座に返ってくるため、深い読みや沈黙の余韻が育ちにくい。
5. 倫理的な距離感の崩壊
• 俳句は対象との距離を保ち、見ることの倫理を問う芸術です。
• SNSでは、対象を「撮る」「語る」「タグ付けする」ことで、距離が縮まりすぎることがあります。

9月17日(水)

晴れ

●外はまだ、蒸し暑い。日差しは、ずいぶん秋らしくなっている。
●バガテルを書き終わる。字数は数えていない。細かいところを文献で調べること。文章の推敲が残る。予定より筆が早く進んだ。
●今日の生協は、果物と野菜と、卵だけ。えらく偏らせたものだ。梨の品質がよくない。先週もよくなかった。

9月16日(火)

曇り
●ローズマリーを育てているが、花が咲いたことはなく、いつ咲くかと思っている。若い芽を摘んで、茹でじゃがいもをオリーブオイルでいため、塩とローズマリーの葉を振った。普段はオリーブオイルは好きではないので、サラダオイルにするが、ローズマリーの香りがあると、むしろオリーブオイルの方が美味しいと感じる。これにトマトと、トースト、梅ジュースでで昼ご飯。朝から食欲食欲なし。朝は牛乳と梅ジュース。

●大西誠一さんから手紙。大西誠一さんは愛大俳句会の元部長で、現代俳句協会の理事、奥の細道むすびの地「大垣」副館長で選者、円座同人。手紙の内容は、花冠7月号(No.373)の会員18名全員の句を鑑賞してくれて、ひとり、3句ずつ秀句を選んでくれていた。それと「奥の細道むすびの地「大垣」」が募集する俳句の選者で、毎月の入選句を印刷したものを入れてくれていた。夜、お礼の電話。何かあったら、携帯に電話ちょうだい、と心強い。

9月15日(月)敬老の日

曇り
●午前一番に、9月月例ネット句会の入賞発表をする。
月例句会 | 花冠

●午後3時前、句美子の家へ。お菜を持って行くため、朝一番にスーパーへ行ったら、秋刀魚がどっさり、鯛の短冊がどっさり並んでいた。鯛の切り身をと思ったのに、手に入らず、刺身にした。それに烏賊を追加。

四時過ぎからゆうまくんが眠ったので、句美子が用事を済ませるのを待って、五時過ぎに句美子の家を出た。帰るまぎわゆうまくんが目を覚まし、帰ろうとする私のほうを、じっと見ている。ゆうまくんは、よく寝て30分なのだ。1時間は期待してもそうはならない。寝かしつけに30分、眠るのは5分ということもあり、これは長男の時に経験している。赤ん坊が眠らないのは家系か。長男は、高校生になると寝すぎに。あまり長く眠るので、息をしているか心配になることもあった。そっと息を確かめたりした。

●帰りは、日吉の東急により、ウィンドウ・ショッピング。ハンカチと友人に贈る鳩サブレ―を買った。ハンカチは、気に入ったら買って保管しておくだけ。今日はポロの布帛織りの紺色のを買った。買いたいと思ったのは、静岡の綿つむぎのリバーシブルの小袋と、ブックカバー。そして、ルーマニアのリネンの黒のスタンドカラーにフリルが付いたのブラウス。こちらは、値段がちょっと高い。いつか、買えたらいい。