11月28日(月)

★ふっくらと茶の花咲いて鳥の声  正子
お茶の花は俳句では冬の季語。田舎に住んでいた頃、山地で、畑もせまくお茶は段々畑の石垣の隙間に植えられていた。茶の花はツバキ科で白い花である。花の様は「ふっくら」と言う表現がぴったりである。聞こえる鳥の声はどんな鳥かと考えるが、畑でこの時期なく取りはツグミか?(古田敬二)

○今日の俳句 短日の街を灯して書店混む/藤田洋子
短日の街の様子が書店を通してよく見える。短日の人で混む書店に充実感が見える。(高橋正子)

●昨夜は、10時半に就寝。今朝はすっきりと目が覚めた。
シクラメン真白しわが目を潤せり 正子

○枳殻(からたち)の実

[枳殻の実/東京大学・小石川植物園]

★父母存(ま)せば枳殻の実の数知れず/石田波郷
★この眼いつまでからたちの花月夜/藤田湘子
★嘘ひとつからたちの実は上向きに/中原幸子
★枳殻の実やア・カペラの聞えきて/819maker
★ひたすらに駅より歩き枳殻(きこく)の実/819maker

 カラタチはミカンの仲間で、原産地の中国長江上流域から8世紀ごろには日本に伝わっていたと言われています。病気に強い、早く実がなる、樹の高さが低い、接ぎ木品種の味が良いなどの利点からミカンの台木として使われています。果実は生では食べられませんが、果実酒の材料として使われています。未成熟の果実を乾燥させたものは枳実(きじつ)と呼ばれる生薬となっています。健胃、利尿、去痰作用があるとされています。(農研機構果樹研究所)ホームページ)
 カラタチ(枳殻、枸橘)はミカン科カラタチ属の落葉低木。学名はPoncirus trifoliata。原産地は長江上流域。日本には8世紀ごろには伝わっていたといわれる。カラタチの名は唐橘(からたちばな)が詰まったもの。樹高は2-4メートルほど。枝に稜角があり、3センチにもなる鋭い刺が互生する。この刺は葉の変形したもの、あるいは枝の変形したものという説がある。葉は互生で、3小葉の複葉。小葉は4-6センチほどの楕円形または倒卵形で周囲に細かい鋸状歯がある。葉柄には翼がある。学名のtrifoliataは三枚の葉の意でこの複葉から。葉はアゲハチョウの幼虫が好んで食べる。春に葉が出る前に3-4センチほどの5弁の白い花を咲かせる。花のあとには3-4センチの球形で緑色の実をつける。秋には熟して黄色くなる。果実には種が多く、また酸味と苦味が強いため食用にならない。花と果実には芳香がある。

◇生活する花たち「茶の花・花八つ手・木瓜」(横浜下田町・松の川緑道)

11月27日(日)

★ストーブの出されしばかりが炎の清し  正子

○今日の俳句
しなやかに同じ向きして枯れ芒/古田敬二
枯れ芒は、風になびいた形のまま枯れている。枯れているとは言え、「しなやかさ」がある。枯れ芒に「しなやかさ」をよい。見たところがよい。(高橋正子)

●しゃりしゃりと霙降るなり今がすぎ   正子       
この冬芽辛夷と知って銀まぶし     正子
この道の伸びきり銀杏黄葉立つ     正子
キャンパスの丘がうずもる銀杏黄葉   正子

○実葛(サネカズラ)

[実葛/東京白金台・自然教育園(2014年11月19日)]_[実葛/東京白金台・自然教育園(2012年11月21日)]

★葉がくれに現れし実のさねかづら/高浜虚子
★境内か否かを知らずさねかづら/森田 峠
★木洩日や美男葛の葉がくれに/山下渓水
★行きすぎて戻りて美男葛の実/川崎展宏
★悔い多し美男葛の実を数え/小堤香珠
★下心ありやに美男葛の実/阿部寿雄
★人恋し美男葛に風吹けば/大野温子
★雨脚のときをり烈し実葛 しじみ

★真っ赤なる実に驚けば実蔓/高橋正子

 実葛(サネカズラ、学名:Kadsura japonica)は、マツブサ科サネカズラ属の常緑つる性木本。別名、ビナンカズラ(美男葛)。葉は長さ数cmでつやがあり互生する。ふつう雌雄異株で、8月頃開く花は径1cmほど、10枚前後の白い花被に包まれ、中央におしべ、めしべがそれぞれ多数らせん状に集まる。雌花の花床は結実とともにふくらみ、キイチゴを大きくしたような真っ赤な丸い集合果をつくる。花は葉の陰に咲くが、果実の柄は伸びて7cmになることもあり、より目につくようになる。単果は径1cmほどで、全体では5cmほどになる。果実は個々に落ちてあとにはやはり真っ赤なふくらんだ花床が残り、冬までよく目立つ。関東地方以西、西日本から中国南部までの照葉樹林によく見られる。庭園に植えることもある。ビナンカズラともいうが、これは昔つるから粘液をとって整髪料に使ったためである。盆栽として栽培もされる。果実を漢方薬の五味子(チョウセンゴミシ)の代わりに使うこともある。
 古歌にもしばしば「さねかづら」「さなかづら」として詠まれ、「さ寝」の掛詞として使われる。
名にし負はば 逢坂山のさねかづら 人に知られで くるよしもがな (藤原定方、百人一首25/後撰和歌集)

◇生活する花たち「山茶花・初嵐・花八つ手」(横浜日吉本町)

11月25日(金)

 鎌倉報国寺
★冬の水ひたすら澄みて金魚飼う  正子
お家の中で飼われている金魚でしょうか?日毎に水も澄み、冷たくなりゆく今の時季の静謐なたたずまいが想われ、素敵です。(桑本栄太郎)

○今日の俳句
地響きをたてて木の実の時雨かな/桑本栄太郎
凄まじい木の実の降り方に驚く。「地響き」といい「時雨」といい、植物とは思えないほどの生命のありようだ。木の実をすっかり落として冬を越すのだ。(高橋正子)

●昨日の霙は昼過ぎには牡丹雪。夕方には雪も小雨の止んで、暗い夕方に商店街の街燈と小さなネオンが光る。11月なのに、クリスマス前の雰囲気。

藪柑子とチェッカーベリーの実がつやつやとしている。藪柑子は園芸種で実が大きい。

★藪柑子朝日斜めに差しいたり/正子

広島の妹二人が、それぞれに富有柿を送ってくる。実家の柿は今年は全滅で、園芸組合のを買ったそうだ。富有柿の北限が岐阜までなので、めずらしいだろうと。スーパーでは、蜜柑、柿、林檎と並んで、愛媛、奈良、岐阜の富有柿が出回っている。

★実の内に光を詰めて富有柿/正子

貰える年金の申請をしていないから、申請をするように知らせがあった。半年ほど私学に勤めた分。学校証明をもらおうとすると、学校は休校となり、病院の管理となっていた。今誰の管理下にあるかわかるまで、ネットでいろいろ手を尽くして関係者にいろいろ聞いた。ネットが無ければ難しかっただろうに。

角川俳句年鑑で花冠を見て、都筑区の方から電話あり。花冠8月号を見本誌として送る。俳句は、実際の句会や対面して直接学ぶのが良いと思われたらしい。確かに。

○桜紅葉

[桜紅葉/東京大学・小石川植物園]

★早咲の得手を桜の紅葉かな/丈草
★霧に影なげてもみづる桜かな/臼田亜浪
★潮風に桜うすうす紅葉かな/稲畑汀子
★桜紅葉のくれなゐ濃きに父想ふ/大橋敦子
★観音の桜紅葉の中に立つ/長谷川幸恵
★桜紅葉これが最後のパスポート/山口紹子
★いつせいに公園の桜紅葉かな 石川元子
★茶畑へ散り込む桜紅葉かな 小川玉泉
★川岸の桜紅葉も終りけり/家塚洋子
★桜木の紅葉し初めてうひうひし/丹生をだまき

 桜の紅葉(「旅」2004年11月号/一部抜粋)
 紅葉の代名詞になっている楓よりも、どちらかと言えば桜の紅葉に味わい深さを感じる。桜は、春に咲き誇る花はもちろんだが、秋の陽の温もりと朝の冷え込みに少しずつ色づいてゆく葉にもまた、独特の魅力がある。写真とともに、都美女、蕪村、福永耕二、鈴木孝信、玉貫 寛、原 裕らの桜の紅葉を詠った俳句で桜の紅葉を楽しむ。(安田桂之)
 桜の紅葉が好きなので、私にとっては、いわゆる桜の名所がそのまま紅葉の名所でもある。よく散歩をする京都の鴨川沿いの桜にしても、秋晴れの日などは、空の青と雲の白に映えて綺麗だし、雨の日のしっとりと濡れた感じもまた何とも言えない。桜の紅葉の色は、黒っぽい赤、真っ赤、赤茶、茶、柿、黄、黄緑、緑、茶っぽい緑など、極めて変化に富んでいながらも落ち着いた調和を保っている。
 近年、気候温暖化の影響か、楓の紅葉時期が遅れているという。また、色がくすんでいて、赤茶けて汚いという声も聞かれる。それは、桜の紅葉も例外ではない。だが、私が惹かれる桜の紅葉は元来が楓ほど色鮮やかではなく、むしろくすんでいたり、赤茶けていたりする、その寂びた味わいがいいのだろう。
 山桜とちがって、染井吉野は都市の美だ。身近なところで花を愛でるために、さまざまな時代にさまざまな人々の手によって人工的に都市に植えられてきた。だから、クルマやバスに乗って山へ「紅葉狩り」に出かけなくても、桜の紅葉ならいつもの散歩道で日常的に接することができる。
 身近な桜は、紅葉の名所の楓のように赤くなったときだけ葉を見るのではない。冬枯れの季節も花の季節も青葉の季節もずっと見てきたその樹が、それこそ紅葉してゆくのを見るからこそ心が動くのである。
 秋、朝夕の気温が下がり、昼との寒暖の差が激しくなると、葉枝の付け根に離層という裂け目ができる。すると、通り道を切断された養分が葉にたまり、赤色の色素ができるのだという。そして、さらに気温が下がると緑色の色素が衰え、隠れていた赤や黄、褐色などの色素が見えるようになる。これが紅葉の仕組みだそうだ。裂け目がさらに深くなると水分の通り道もなくなり、いよいよ葉は枯れる―落葉である。
 歌の世界では古くから、花と言えば桜を指すように、紅葉と言えば楓を指したという。ただ、銀杏の黄色も含め、紅葉する落葉樹は楓だけではなく、歳時記を紐解くと、桜紅葉、漆紅葉、銀杏紅葉、柿紅葉、梅紅葉、白樺紅葉などの季語が見受けられる。また、紅葉とは元々、緑色の葉が赤色や黄色になることだから、「もみいづる」や「もみづる」というように動詞としても用いられたという。特に、「桜紅葉」は俳人の美意識を刺激するのか、「紅葉」とは別に項を立てて例句を挙げている歳時記もある。その本意は、「楓よりひと足早く紅葉し、散ってしまう」というものだ。
 楓に比べれば少ないものの、俳句には桜紅葉を題にとったものがあるのに、写真集や雑誌特集、テレビ番組などにはなぜかない。「桜の一年」を追ったものの一つの季節としてなら稀にあるが、桜紅葉だけをテーマにしたものがないのはどうしたことだろう。

◇生活する花たち「アッサムチヤ・グランサム椿・からたちの実」(東京・小石川植物園)
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