9月20日(1句)
★手に馴染む俳誌の反りや夜の読書/上島祥子
「夜の読書」は、季語ではないが、「夜長」(秋の季語)と関係して、この句は「季感」のある句とされる。(この考えは、臥風先生・信之先生から引き継いでいます)
俳誌の「反り」は、何度も繰り返し読まれたことをあらわしている。紙であるのに、手に馴染むほど読んだ書なのだ。その書を、静かにひも解く読書の時間が充実している。(髙橋正子)
9月19日(1句)
★木犀の香に包まるる四畳半/小口泰與
木犀の香りが狭い四畳半の空間を満たし、香りはいっそう濃密になり、懐かしさや安らぎをそっと呼び起こしている。(髙橋正子)
9月18日(1句)
★翅少し欠けたる秋の揚羽かな/多田有花
揚羽は夏を象徴する蝶であるが、秋になって、翅が欠けた揚羽が見られる。夏を生きてきた間に風雨などに傷つき、欠けてしまったのだ。秋といい透明な季節に、欠けた翅にもその美しさがある。(髙橋正子)
9月17日(2句)
★秋冷の独り朝餉や妻の旅/桑本栄太郎
妻が旅に出、独り食べる朝餉のわびしさを、秋冷がいっそう強めている。しかし、妻を旅に出させた夫の心の広さ、寛容さが、秋冷の冷たさと対照的に、静かな温もりとなっている。(髙橋正子)
★蔓端に朝顔咲ける紺二輪/上島祥子
朝顔の蔓は日ごとに新しく伸びる。伸びた先に花が咲くが、「蔓端」の二輪の紺の朝顔が鮮明の感じられる。。二輪の紺の朝顔は、蔓の端で風に揺れているのだろう。(髙橋正子)
9月16日(1句)
★露草や心決まれば静かなり/多田有花
なにか、心に決めかねていることがある。決めかねていることが、決まってしまうと、心が穏やかに、静かになる。まるで、そこに咲く露草のように、静かで、きよらかな気持ちである。また、「露草や」の「や」を決意の瞬間と読んでもよい、と思う。(髙橋正子)
9月15日(1句)
★秋の蝶口吻伸ばし静かなる/多田有花
口吻を伸ばした蝶の動きは、ほとんど止まっている。その瞬間が「静かなる」で安らぎの時となっている。秋の深まりが蝶の呼吸のように捉えられている。(髙橋正子)
9月14日(2句)
★爽やかに返事をしたる園児達/廣田洋一
園児のはっきりした返事の声は、かわいらしく、爽やかである。この句は、無駄な言葉がなく、そのときの思いをそのまま、すっと
内容と相俟って一句に昇華したところがすばらしい。(髙橋正子)
★朝の水浴びて咲きおり花縮砂/多田 有花
「花縮砂」はジンジャーの花と言われる花である。朝の水遣りが終わったところであろう。水を浴びた花縮砂は、清々しい姿である。
ジンジャーの花は、甘くフローラルな香りを漂わせ、その匂いも
立ち昇るようである。読み手は提示された景色をそのものや気配で読み取らなければならない。(髙橋正子)
9月13日(1句)
★山の沼消えんばかりに霧深し/小口泰與
霧が深く立ち込め、山の沼が消されそうになっている、幻想的な風景。霧の動きも見えそうな句(髙橋正子)
9月12日(1句)
★水澄むや草の根を這う水の音/小口泰與
水を、澄む水と、聞こえる水の視覚と聴覚でとらえた句。水の透明感と、微細な水の音とが、秋の静かさを深めている。(髙橋正子)
9月11日(3句)
★朝毎の露をたたえし稲穂かな/多田有花
稲穂が日々熟れていくなかで、露は毎朝新しく生まれている。朝生まれた露は昼乾き、また翌朝、新しく生まれる。そこに着目したのがいい。(髙橋正子)
★病癒えまた歩む道に鱗雲/土橋みよ
ご病気が治り、晴れやかで、清々しい気持ちがよく表されている。高い空の鰯雲が、広さや高さを感じさせて、自分の存在があきらかなに感じ取れているのが、素晴らしい。(髙橋正子)
★向日葵の種の重みや地に傾ぎ/上島祥子
向日葵が、ずっしりと重くなるほど種をつけ、茎が傾いている。多くの種には驚くが、詠む対象にぴったりとそいリアルに観察しているのが、いい。(髙橋正子)
正子先生
「八月尽風入る部屋で昼寝する」にご指導をいただきありがとうございます。
八月尽について、私が普段使っている「新日本大歳時記」(1999/講談社)には
八月尽が季語として載っております。
「八月尽の赤い夕日と白い月/中村草田男」が掲載されています。