晴れ
●自由な投句箱のコメント欄に投稿できない方が3名いて、これががまだ解決していない。ウェブデザイナーの之宏さんにメールし、事情を知らる。IDを発行するなど対策はあるが、それでは済まない問題がある。5日ほど様子を見て最終的に判断すると、伝えた。高齢者だからという簡単な問題ではなく、個人のITリテラシーの問題と思える。常に自己更新をする必要がある。ひとごとではない。昔、パソコンは伝承だとということを聞いた。技術が上の人のするを見て、見様見真似で習うということ。これは今回私も実感している。
●きのう洋子さんに新しいブログのコメント欄の使い勝手について聞いた。話が対長くなって、おおいにハッパを掛けられた。俳句だけでなく、もっと好きに書けということのようだ。もう十分みんなの世話をしたので、自由にしていいと思うというのだ。なかなか優しいと言うか、厳しいというかよく見てくれている。「戦いすんで日が暮れて」ということもある。ふうんとため息がでる。
●リルケのことは、リルケがあまりに偉大すぎるので、ここで降りるかと思うこのごろだったが、そうはいかない感じだ。リルケの事を書いた私の文章は、言葉はむずかしくないけど、言っていることが難しい、だけど、書いて、と。今日は『ヴァレの四行事』から5から7までを書いた。書いているうちに俳句が浮かぶだろうと思ったが、イメージをつかむのがむずかしかった。ヴァレの四行詩は自然を詠んでいて、馴染みやすく、気軽に読んでいた。そう難しくはないだろうと思っていたが、なんといよいよ後期も後期のこの詩は「世界内部空間」の概念の上に書かれたとかいう長崎大学の濱崎一敏先生の論文が見つかったのだ。びびってしまった。頂いた美味しい梨でも食べて気持ちを持ち直すことにした。祥子さんもカードのお礼に入れた私の編んだ糸紐の栞を一つ一つよく見てくれているし。糸くずの小さいものだが、小さいものの方が慰めになる。
●今日一番の値打ちは、『ヴァレの四行詩』を読んで作った俳句に「詩返」という語を作った。「返歌」「返句」にあたるようなものだが、
それより現代的でやわらかいと思う。この創作語を今後使うことにした。
造語と言いたくはない。これまで誰も使っていない言葉をこれから使う。
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