快晴
愛の日の街へと山を越えて来ぬ 正子
暖かし二月の空の青まさり 正子
●リルケの「古い家で」をまた読んだ。なぜなら、きのう「一物仕立て」と「取り合わせ」について長々と書いたことが、今日になってあまりにもつまらなくなったから。現俳句の問題点、つまり、今の俳句が面白くない理由がわかったから、いいようなもの。しかしわかったからと言って、全くつまらない。それよりも、ほどんどわからないドイツ語を辞書を引きながら読むほうがよほど創造性がある。
この「古い家で」からインスパイアされて秋に第2連から一句作ったが、それは序の段。第1連からは、秋のような印象を受けたが、第3連では、蒸し暑い、都会の喧騒が出て来るから、季節をいつに設定すればいいのだろう。俳句作りなので、季節が決まらないと落ち着かない。
第1連では、作者は古い家から円形に広がる全プラハを遮るものなく見ている。夕暮れが音もなく小さな足音を立て深く下りて来る。
In the old house, in front of me I see the whole of Prague in a wide circle: far below, the twilight hour passes by with a noiseless quiet step.
★黄昏はしのびて深く下り来たり 正子
第2連では、街はガラス越しのようにぼやけて見えて、巨人のヘルメットを冠ったような緑青のドームや尖塔のニコライ聖堂が高くくっきりと聳えている。
The city blurs like behind glass, only high, like a helmeted giant, the green spire dome of St. Nicholas rises clearly before me.
★聖堂の緑青聳ゆ街の滲みに 正子
第3連では、蒸し暑い街の喧噪の遠くに、すでにあちこちに灯が瞬き、古い家のなかで今>アーメン<と声が言う感じがした。
Already a light blinks here and there far away in the bustling city, I feel that in the old house now a voice speaks >Amen<.
★蒸し暑き灯ともしころの声に「アーメン」 正子
3連まで読むと、晩夏か初秋の印象だが、「蒸し暑い」「街騒」の印象からこの詩は晩夏としたい。あくまでもこの解釈は私の「創造的解釈」。
リルケ作「古い家で」にインスパイアされて
黄昏はしのびて深く下り来たり 正子
聖堂の緑青聳ゆ街の滲みに 正子
蒸し暑き灯ともす刻の声に「アーメン」 正子
●日吉駅まで歩いて、街で用事。母の遺したコートを着て来たら、歩いたせいか、暑すぎて脱ぐことになった。東急の店に入って今日がバレンタインデーであることを知る。ベルギ―などのあたらしいチョコレートブランドが並んでいる。ケーキまでつやつやのコーティングを掛けたハート型。一口にハート型とっても表情はいろいろ。チョコレートは元希に買ってあるので今日は買わない。丸善で越前和紙の桜の花の便箋とフリージアをかいた和紙葉書を買った。
●花冠No.373号7月号の企画。原稿が増えて、目次を書ききれなくなったので、現在の半ページから1ページにする必要がありそうだ。目次があったところには、信之先生の俳句の鑑賞文を載せるようにしてはどうかと思いつく。No.372号を読むは初めての企画だが、みんなが活発に書いてくれたので、おもしろそうなので、これを載せようと思う。
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