9月26日(木)

晴れ
耳よりも心そばだつ虫の声   正子
秋草をなべて見てゆく夕散歩  正子
萩苗の花を咲かせて売られける 正子

●午前、パソコン4台をノジマに持って行って処分してもらった。Lavie3台、Vaio1台。ノートパソコンとは言え重いので、2台ずつ運んでノジマへ2往復したのだ。この前FMV2台、Asus1台を処分してもらたので、7台処分したことになる。まだ銀行の払い下げの1台が残っている。
Essay
(八)リルケと俳句について
●『リルケ』(星野慎一・小磯仁著/清水書院)は、図書館で借りているが明日が返却日。238ページの本の一言一句に意味があるので、自分に買うことにし、丸善に注文した。

ついでに丸善で、岩波文庫の星野慎一訳の『リルケ詩集』を探したがない。今はそれに代わり高安國世訳の『リルケ詩集』がある。それの「ドゥイノの哀歌」の第1哀歌の訳を見ると「nichts」の訳が「nicht」に近い訳になっていたので、それでいいのかなと、そんなことが一瞬頭をよぎった。それで、星野慎一ならどう訳しているのだろうと探したが、星野訳は絶版のようなのだ。

リルケのnichtsとdas Gantzは俳句を作る私からすれば、関心のあること。星野訳の『リルケ詩集』が絶版らしいと知って、本屋でつくづく思った。翻訳を読む前に原詩で「ドゥイノの哀歌」を無謀にも読もうとしたことは、第一哀歌の4行目で、はや意味があることだと思えた。この月面着陸を願うような企ては、間違いとは言い切れないと思えた。帰宅してオンラインで岩波文庫の星野訳リルケ詩集を探した。かなり古そうだがあった。ほかにも、大山定一、富士川英郎、手塚富雄、高安國世、神品芳夫、小林榮三郎の名前に出会った。

「ドゥイノの哀歌」を読む月面着陸的企ての契機はこうなのだ。
本棚に信之先生の遺したインゼル書店のリルケ作品集がある。私が読む以外は子供たちは読まないだろうと思って開いて見た。読めるかなと思いながら、最初のリルケの詩2編を辞書とAIを頼りにして読むことができた。最初の詩はプラハの街を読んだ詩。

同時に、『リルケ』(星野慎一・小磯仁著)を読んでいる。そこに、リルケのハイカイの星野の解釈があって、これが私の考えと同じだっとことが非常にうれしく、私にもリルケが読めるかも知れないという思いが湧いた。

ドイツ語を知らない私が辞書とAIを使って読む時間は、初期の詩も「ドゥイノの哀歌」も大して変わらないだろうと思った。実際は、「ドゥイノの哀歌」の8行を読むのにレポート用紙3枚のメモが必要だったので、時間は数倍はかかっている。が、例えば他の本でその内容を読もうとすれば、そのくらいの時間はかかるので、むしろ、数行にある濃度に沈潜できるので苦ではない。そんないきさつで、「ドゥイノの哀歌」を読むことになったのだ。

リルケに気持ちが行ったのは、残りの人生が少ないことなのだ。読書について、おそらく意識的かもしれないのだが、ある時の、二回の時の「読むということ」で傷ついたトラウマから、リルケとファウストは柄でもないないからと避けてきた。それなのにか、それだからか、ここに来て、読まずに死ぬのは悔やまれる気がするのだ。それと、信之先生の一周忌を修めて、世の中から離れて「ひとり」になったことも関係している。「孤独」が手に入った。これは私の性にあっている。こんなことから、リルケを読み始めた。おそらく、これは自分の俳句のためなのだ。

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