晴れ
朝顔の茂りに宿る影の紺 正子
百日草丈だけ伸びて日を欲す 正子
●関東地方、まだ梅雨が明けていない。「リルケと俳句と私」(二)を書き終える予定だったが、書くことを考えていたら、どんどん時間が経ってしまって、2時を過ぎてしまった。決心して今日は何もしないことにした。「相棒」とか見て過ごした。
●「愛媛若葉」7月号を拝受。「俳句のてびき(151)」に「若葉」主宰だった富安風生の句への西村和子氏の鑑賞が載っていた。
「翅たたむ天道虫の紋合ひて 風生」の句からリルケの『若き詩人への手紙』の次の箇所を思い出したと書いてあった。
(自然に近づいて)「この世の最初の人間のような気持ちで、あなたの見たり体験したり愛したり失なったりすることを言おうとおつとめなさい」という一節を思い出した」と。
これを読み、私は臥先生の次の天道虫の句を思い出した。
「天道虫の背が割れ空へ一直線 臥風」
比べればずいぶん句風が違う。どちらにも良さがあるが、句の次元が違うので比べられない。心境の次元のちがいである。臥風先生の句は、やはり花冠的感性に近い。